17歳の風景

映画「17歳の風景」を見る。

自転車に乗って、ひたすら寒々しい風景を走る17歳の表情の硬さ、無表情なかたくなさは、そのあてのない旅に出る前のバットでメッタ打ちした母親殺し以前からも、続いていたであろうかたくなさで、これから先も、もしも先があるならば、残り続けるであろうかたくなさ。

雪の降る、寒々しい風景の中、車に追い越されながら、ただ、走りたいから走る17歳の風景は、走りたいとも思わずに走っていた(/らされていた)ような、あるきたいとも思わずにあるいていた(/かされていた)日常とは、かけ離れて寒々しいばかりだが、自転車を漕ぐことでしか、自分と向き合う事が出来なかったように、走り続ける。

飲み込まれそうになる母親からの逃走、日常の終わり。


途中で、かまくらで飲んでいる人たちや、戦争体験者の話、漁師の話を聞きながらも、無表情、無反応で、ただじっと話に耳を傾け続ける。

内面はぽつぽつと浮かんでは消えて行く文字でしか語られない、無言無音の世界。
ただ息を切るはあはあと言う呼吸音だけが漏れてくる。

豪雪の行き止まりの道の中、おばあちゃんが倒れていても声をかけなかったが、声をかけられた時だけ、どうしたのと初めて声を交わしていた。
そのおばあちゃんは一人で、そこにすんでいて、恋人もいたが、祖国に帰ってしまって、働きすぎて子どもが出来ない身体になった。等とぽつぽつと話し出す。
祖国を思いながら、自分を思いながら歌を歌い出す。

歌というものは、歌謡曲であれ、ブルースであれ、民謡であれ、なんであれ、誰が歌ったものであれ、響くものは響きつづける。

重箱の隅を突くだけでは、その姿を見ようとしないものには届かない類いのもの、少なくともその歌を必要とする人がいる限りは届くような類いのもの。


自転車のチェーンが切れて、しばらく、自転車を肩にからって歩くが、最後に海の見える崖から、その走れなくなった自転車を投げ捨てる。

自転車は17歳の彼、そのもので、その落ちて行く自転車を見届けながら、言葉にはなりようもなかったような咆哮を海に投げ捨てる。

張りつめた息の行き先を見届けるように「17歳の風景」が終わった。
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by akikonoda | 2009-09-05 11:10 | 記憶
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