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親切なぽっきさんと唐辛子姉妹

ここ数日、体調と気力がぎりぎりのところで超低空飛行をしていたが、いまは行きたいところ迄行けない体力と気力の境界線にいて、墜落するだけなら、好きな事をして墜落したほうがいいと思い、コドモ達を剣道に見送った後、高木のぶ子氏の講演会に伺う。


「親切なぽっきさん」と「唐辛子姉妹」。

「親切なぽっきさん」は韓国のパク・ワンソさんの作品で初めて拝見したが、美しい朗読をされたアナウンサーさんの声の調子を聞くうちに、その世界に入り込んで行った。
 女性の一生。というものを「恨」を通して描くうちに、あかい芥子の花を傷つけ白い粘液を嬲るようにしてブリキの器に隠し持つうちに黒々と変色して行くという「アヘン」的なものが練り込まれていることに、気づくような語り。

「唐辛子姉妹」は高橋さんの韓国での生体験がベースとなった、唐辛子の姉妹の戯画的物語である。唐辛子のカプサイシンが魂であるならば、そのゆくえはどこだというような、人を喰ったような/人に喰われたようなコミカルな物語で、あかあかと熟された実から匂い立つような辛味の効いた物語。

「恨」は一見美しい花が傷つくことによって流される粘ついた白い花液のようなもので、毒にも薬にもなる根を持つようなものなのかとも思われ、どちらかと言うと女性的なるもののそこに根を張っているような。

「唐辛子」という韓国の食生活にはなくてはならないものも、じつは秀吉が持って来たんだというような説もあるらしいと唐辛子姉妹の「ルーツ」の旅は、大阪のおばちゃんのからだを通り抜けて関空で終わりを告げるのが、なんとも、おおらかでやじさんきたさん的こけてぃっしゅさの先の「無」を見たような。

韓国が「恨」流なら、日本は「無」流あるいは「無」印という。。。

どちらの作品も女性の書き手による「性」の描き方というものが、それぞれのすたいるを踏襲していそうで、つくづく興味深かったことでもあるが、その一方で、人は何をしているのかと言うことがこびりついてもいる。

海に流れ着くものは、おせんまみれでない事を願うのは、日本であれ、韓国であれ、他の国であれ同じであるとは、こころのそこでは思ってもいる。

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青鞜はあおいすとっきんぐなんだとわらうきみのかお あおざめしときおもう


                                  あきこ

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by akikonoda | 2009-09-19 20:10 | 記憶
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