松本清張の歴史を思う

松本清張生誕100年ということで、松本清張記念館に松岡正剛氏の講演会に伺った。


まず最初に、松本清張が案内人として登場されていて、松岡氏もその編集に関わっておられたと言う二本の映像を拝見した。

ところどころ再現フィルムのように役者さんが永井荷風の日記と谷崎潤一郎の日記を踏まえた映像を入れ込んでいた。
双方向的な視点、「同時代」を生きていた文学者の、同じ「場」を共有しながらも立場の違いから、違って見えていたこともあろう、戦中戦後に対する眼差し、その時に対する「重層性」を確保した構成で、いつみても、その時を捉える上で、時間の重みに耐えられるように作ろうとされているように見受けられた。

もうひとつの映像の、戦後日本における国鉄総裁殺害の可能性もあると思われる事件「下山事件」についての、仮説に次ぐ仮説のなかで、あるひとつの方向性の糸を辿って行く手法もおもしろく拝見した。
そこに松本清張自身の言葉あるいは自説を乗せていくという手法に、書き手の事件に迫る方法を見つけた気がして、その煮詰め方?を共感を持って拝見していた。



映像の休憩時間になって、この前、田中泯さんの舞踏を拝見しに行ったのでその舞台になった中庭のような空間を覗いてみようと行ってみると、子ども達と訪れた時、座っていたところが、ブルーシートで覆われて、立ち入り禁止になっていたのに、ぎょっとする。

あれあれなんか水漏れでもあったか、コンクリがかち割れでもしたのか。などと思いつつ、展示室の方に行ったが、運がいい事に、平成天皇二十周年の日と重なっており、記念館常設展示室が解放されていたらしく、そこを覗いてみた。



昭和史的なものを扱った展示に、226事件のブースがあった。

その時代に、その事件の前に、まかれたビラがまるで遺書のように茶色がかって置かれていた。

なにやら張りつめながらも蠢き出してくるような字体で綴られており、その時の状態をかいま見せてくれるものであった。

以前もここを訪れていたが、子どもと一緒だったので、なかなかゆっくり拝見できなかったのだが、やはり、松本清張でひっかかるのは、自分が子どもの頃、父親の仕事の関係でイランに(警察官で後に外務省に出向になったりして、イランイラク戦争がはじまりてえらい事になってしまった時期でもあった)暮らしていた事においてであった。

松本清張がイラン革命の起こリつつある中で、偶然、シーラーズに来ていたという事や、その後もイランで起こった革命前後の時期を書いた「白と黒の革命」というものを思い出したりしていた。
読み返す時が来たのかなと。

はからずも、たまたま、そこにいあわせるか、すれちがっていたという偶然のようなものに、向き合う覚悟のようなものを感じずにはおれない歴史的なものにつながれた同時代的なものに引っ張られてしまうような気配。とでもいおうか。


また、資料年譜によると、松本清張が共産系と創価学会系の和睦?にも一役買っていたような事実もあったらしく、かなりぎょっとしながらも、その松本清張自身の歴史の流れと同時代性あるいは時代精神のようなものを辿っていくことで、何かが見えてくるような気もしていた。




その後、松岡正剛氏のお話を御聞きした。

生のお声を御聞きしたのは初めてであったが、松本清張との映像を作るにあたってのやり取りが、ことのほか、おもしろかった。

あの独特の下唇を強調しすぎないように。とか、松本清張さんに語ってもらうところの塩梅が難しかったとか。

しかし、再現フィルム的な役者さんの出てくる映像においても、たとえば何者かに殺害されたと思われる下山さんの弁当を家政婦さんが運転手さんに渡すところで、汁が出るのでかたむけちゃだめですよとか、そんな事件に巻き込まれるとは知る由もなかった的ななにげなさそうな演出をして、人ごとですまさないように?物語の現実に引き戻す装置的な会話が、事件そのものを、「うそ」のようにしないという心づもりのようなものが見え隠れした。

松岡氏は、松本清張氏の書くものの傾向として、「仮説(ストーリー)」を丁寧に、気がつくところを幾つもあげていき、「歴史(ヒストリー) 」にかえして行くような手法=あぶだくしょん的なものを感じておられると言うことであった。

日本の黒い霧を見定めようとした松本清張的思考を引きながら、松岡正剛氏の日本という国のそこに流れているものを掴むべきものとして「天皇」と、宮沢賢治や長谷川等伯らも影響を受けていたという「法華経」を引き合いに出されていた。


色々な人の思考の流れを垣間見れるというのは快感であり、それが歴史性や同時代性と結びつく時のおもしろみはなかなか得難く、有り難いものであったが、それが「場」や「人」や「時」によって作られて行くことの妙を感じずにはおれなかった。





前の晩、詩のボクシングの全国大会とくらっちさんの映画に、連れ合いの仕事の都合や軍資金?関係や子どもの剣道の試合でどうもいけそうもないね。と連れ合いと話し合ったばかりで、かなりうなだれていた心に沁みた言葉と時であった。学生時代や詩ボクの友達にも会えそうだったのにな。。。
楠さん、くらっちさん、junさん、わきたくん、あいちゃん。
行きます!と言っておきながら申し訳ありません(でも人はたくさん来られるようなのでよかったです!NHKの放映?かDVDで必ず拝見拝聴させて頂ます)。

来年、自分で詩を朗読できたら軍資金を絞らずともいいので、自力でなんとかするべし。ということなのか。。。(ううっ、つらいのう)
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by akikonoda | 2009-11-13 16:54 | 記憶
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