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穴観音の夢

バスを待っている人が二列に並んでいる
隣には二人の音楽家が塀の方
自分は道の方にたっている
ギターを持って どこかに移動しているのだろうが
初めて聞いたときから好きな音だったので
何を歌うのかとても興味があり打ち合わせの話に聞き耳を立てていた

すると向こうの方に穴観音があるという事に気付き
歩いて行く
みっつの拝む場所がある
いくつもの小さな仏像や何かの像が
蝋燭を立てる屋根のある匣のようなところに
ぐるりと並んでいる

ざっと数えながら
全部で40幾つあるような気がしながら
みっつの匣をあわせるともっとあるなと考えているところで目が覚める
いつも気になっているがまだ行った事がない穴観音には
赤穂浪士?だったかの中には御霊があるようにみたてた
墓が幾つかあると聞いたのを思い出していた

それから
どこかにつながっている
抜け穴があると言うことも聞いた事があり
そのほのぐらそうな穴場を
時を越える穴蔵の続く道を歩いてみたいなどと
思いめぐらしている



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ざっと、調べてみると、赤穂浪士のお墓のレプリカ的なものがあり、その遺志を受け継ぐという意味合いで作られたものであったが、それを押し進めた中心的な人物としてあの頭山満翁の名前があったので、いささか静かな驚きを持った次第。

あとは、「道」のつく戒名が、三つあったのも、何かの縁かと思い覚え書き。
入ってすぐのならびの左手ひとつ目(解読できず)、それから五つ目(村上喜剣 )、入って右手の並びの一番端っこの十目(寺坂 信行)にひとつ


(wikiより)〜〜〜〜〜〜〜〜

村上喜剣
薩摩の剣客村上喜剣は、京都の一力茶屋で放蕩を尽くす大石内蔵助をみつけると、「亡君の恨みも晴らさず、この腰抜け、恥じ知らず、犬侍」と罵倒の限りを尽くし、最後に大石の顔につばを吐きかけて去っていった。しかしその後、大石が吉良上野介を討ったことを知ると村上は無礼な態度を取ったことを恥じて大石が眠る泉岳寺で切腹した。大高源五の墓の隣にある「刃道喜剣信士」という戒名が彫られた墓はこの村上喜剣のものであるといわれる。

寺坂 信行 (てらさか のぶゆき (吉右衛門 きちえもん)
寛文5年(1665年) - 延享4年10月6日(1747年11月8日))は、赤穂四十七士の一人。父は赤穂藩の船方役人・寺坂吉左衛門。母は川端与右衛門女。

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「穴観音」

福岡市南区寺塚にある興宗禅寺。この寺は曹洞宗の寺であるが、境内に昔の古墳を祀っているので、通称『穴観音』と 言われて親しまれている。 なんでも黒田長政が福岡城を築城するとき古墳の石を石垣に使ったために、古墳を祀って霊を供養したのだという。 穴観音の中には阿弥陀如来と観音、勢至菩薩、石壁には仁王が彫られている。
また、境内には東京高輪の泉岳寺の四十七士の墓を模した四十七士の墓がある。 これは昭和10年に篤志家木原善太郎氏が私財を投じ、泉岳寺の墳墓を模して、配列はおろか地形から 玉垣まで同じように建立したものです。毎年12月14日の討ち入り決行の日に祭典を行っているそうです。

http://www.yado.co.jp/tiiki/fukuoka/anakan/anakan.htm

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古墳時代の名残のような石窟穴、神道的なる鳥居、仏教的なる阿弥陀如来と観音・勢至菩薩、と三つの神的なものが重なっている場として、時代を繋げている「穴」として、かなり興味深い時間的重層性。
by akikonoda | 2009-11-28 08:49 | 夢詩
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