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戦争を知らずに

戦争を知らずに僕らはうまれた。

と、歌っていた、北山先生が、去年か、その前年かに復活していた。
一夜限りの復活ライブだったらしいが、イムジン河もうたわれたのだろうし、当時に思いを馳せておられる姿を生で見てみたかった。
アンコールでいいから、おらはしんじまっただあ。の早送り版も、ひとつお願いしたかった。

北山先生は、今は某大学の心理学の教授をされているが、たまたまカウンセリングに興味があったので、社会人?聴講生として、ご好意で、いろいろな授業に潜り込ませてもらったことがある。学ぼうとするものを、拒絶しないところに、懐の深さを感じた。
年若い学生の中で、もう一度やり直すような気分で、必死で耳を傾けていた。なんせ、学生時代は、授業に関係のない本ばかり読んで、幽霊学生だったから、ここでやり直しておかないと、先々、悪夢にうなされそうだと、無意識のうちに、取り組んでいたのである。

北山先生は、フロイト派の流れを汲む、ウィニコットの研究を進めておられた。
「ほどよい」がキーポイントであったのを、覚えている。ほどよい母親、ほどよい会話、ほどよい愛情、ほどよい家族、ほどよいお金、ほどよい環境、ほどよい食欲、ほどよい・・・・。この辺で、ほどほどにしておくのが妥当であろうが、子供を孕んだことや、過酷なカウンセリングの勉強以前に、自分の気力の限界もあったので、いったん、そこから離れた。
その後は、大学院を目指すというよりも、独自の道をほどよくなるように探し続けているつもりであるが、実際は、やはり難しいと思わずにはいられない。

院で研究したいと思っていたもののひとつは、戦争神経症であった。
昔の文献を調べて、戦争体験による、神経症の発生率や、その可能性について突き詰めたら、なにか、自分の中で、納得できることがうまれてくるかもしれないと、思ったのである。
イランイラク戦争を体験したものとして、まだ、その後遺症と思える悪夢は、消えていなかったのである。

カウンセリングマインドに没頭していたのは、子供がうまれる前だったので、もう8年近く前になる。
その後、日本でも、自衛隊派遣や軍備増強論など、戦争の足音が、ここ一年余りで、ざっざっと徐々に大きく聞こえてきたような感じがして、心底、不気味である。
その方向性をほどよくずらしたい。と痛切に感じている。

実際に、戦闘を体験していない自衛隊の人の中でさえ、そういった不安感を訴えるものがいるという報告を聞いた。
また、実際に、攻撃している米国の軍関係者は、更に深刻で、不安感を通り越した症状が見受けられ、米国に帰国したとしても、その体験は消えることなく悪化する傾向もみられるという。何がしかの戦争の影響が見えてきている現状は無視できない所にきているのだ。

精神論で、賄える代物ではない。
現地で、生活を軍から援助されているからと言って、生身の人間を殺すかもしれない、破壊を繰り返す行為を、やり続けて、まともでいられる方が、不思議である。

命令系統のものには、分らないであろう。
そう言う、生身の痛さを味わうことは、自分の場合でたとえるならば、生きていても、半分以上はうそのような、もうどこかで何かが死んでいるような、妙な感覚を持つようなことなのだということを。
その場に立ってみたら、少しはわかるかもしれないが。
しかし、その場のリアリティを表現するのは、今もって難しい。

やられる方も、やる方もどこかで苦しむのが見えているのだから、やらないに越したことはない。
by akikonoda | 2006-09-08 11:06
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