木下順二氏といって思い出すのは、夕鶴である。
箱庭研究会でしきりと夕鶴について熱弁を振るっていたA先生経由の夕鶴イメージではあるが。
夕鶴において、異形のものとの交わりについて、異様なほどの熱を持って説かれた先生に、畏怖のようなものを感じながら聞いていた。
もう、異形なものとの交わりしか、純粋なものはないのかもしれません。
と言われた時の、先生の目が異様にうるんでいたのを思い出した。
それは、なぜか、自分の中で、アガタ・クリフトフの悪童日記だったか、悪童三部作のどれかに導入されていた、目やにのついた野良犬と少女との
土手での強烈な交わりを偶然見てしまった、いきづまりながらもじっと見続ける少年の目線に重なるのだった。