秋山の家の玄関を潜ると、秋山のお袋がやってきた。
あら、索造くん。いらっしゃい。自分の部屋に行くの? それじゃあ、何か、飲み物でも持ってこようか? と全身漆黒であるが、良く見るとスパンコールが胸の辺りをちらちらと光らせて、店にやって来た、客を愛想良くもてなす女将か、どこかの喫茶店か、スナックのママさんみたいだと思った。 上品といえば上品なのだが、どこかに艶があるような、索造の母親とはまったく違う感じがするのだった。 索造の親父の女人が水道の水だとすると、秋山のお袋は随分と汲み尽くされそうな井戸水とでもいおうか。 索造のお袋は、どちらかといえば、忘れ去られたさもしい神社の片隅の、苔むした石を刳り貫いた穴に入って逃れられずに、じっとしている水たまりのようなものに思えた。 索造は、その水の中に生まれた、一匹のおたまじゃくしなのである。 秋山のお袋が、自分の服と同じ黒い液体が入ったグラスを持ってやってきた。 ねえ、聞いて。私ね。コーラが米国からやって来た時に、初めて飲んで酔っぱらってしまったのよ。お酒は、全然飲めないわけよね。 と、秋山のお袋は少女のように顔に笑みを浮かべながら、その酔っぱらうほどの、ついだばかりで黒々とした液体に茶色の泡を出し続けるコーラのグラスを索造の前に置いた。 泡が、次から次へと弾けていく。 甘ったるさに酔いそうになるのは勘弁して欲しいので、一気に飲み干した。 あら、のどが渇いていたのね。まだいるかしら。 いえ、いいです。ありがとうございます。 なんとなく、居心地が悪くて、秋山と二人で話をしたかったのだが、秋山のお袋は、まだ、畳みかけるように話し出した。 ねえ、索造くん。うちにある、胡麻の葉の辛子漬け持っていかない?おいしいから。お母さんに届けてよ。 ああ、すみません。それじゃあ、後で。 と、索造は、心なしか、ぶっきらぼうに答えていた。 それじゃあ、後でね。 と、機嫌よく言いながら、秋山のお袋は行ってしまった。 なあ、秋山。お前もコーラには弱いの? そんなわけねえだろ。 お袋は、今じゃあ、セブンナップだって飲んでるしさ。少しならビールだって飲めるんだぜ。 それにしても、俺も初めて聞いたぜ。今の話。 そうなんだ。エチオピアに親父の仕事で住んでいた後に、イランにもしばらく住んでいたんだけどさ。セブンナップって中東のイランって国にもあったぜ。 サイダーみたいなやつだろ。コーラもあったけど、その後、イスラム革命後かな、米国企業のものは、締め出されたみたいでさ。今は、ザムザムって炭酸飲料が幅を利かせているらしい。 ザムザムって、聖地にあるという「生命の泉」っていう意味らしい。 炭酸に生命の泉と名前を付けるところが、冴えてるかもね。 命の泡を飲み干せ。 という感じだかどうかは知らないが。 へえ、そうなんだ。うわあ、お前。げっぷするなよ。命の泉ガスをむやみにまき散らすな。 でもさ、イランの飲み物には、時々混入物があってさ。ゴキブリ。黒々とした泡に塗れたホルマリン付けみたいにさ。紛れてるんだよ。色が一緒で、同化してるから、尚更、恐怖を誘うんだ。 生命の泉がとたんに死の泉に変わる瞬間が、そこにはあるんだよ。どんな毒にも慣らされたゴキブリでも、逃れられないのが、生命の泉の瓶詰めってことかな。 見えない闇に生きるゴキブリの気持ちにもなれ。と、突きつけられたみたいな気になるのさ。 うわあ。気味ち悪い。なんか、しばらくコーラ飲めなくなりそう。 俺も、初めてコーラの中にゴキブリを認めた時、お前のお袋さんとは別の意味で、コーラがしばらく飲めなくなったよ。 でもさ、米国の資本主義の象徴が、ハンバーガーだとすると、ハンバーガーチェーンで頼むセットの飲み物には、必ずと言っていい程コーラがくっついてくるよな。 その合わせ技に、軽やかな白い世界の黒い影が見え隠れする気がするんだ。 白い世界は美しい。 白い世界は素晴らしい。 白い世界は、世界に君臨する。 って、真っ黒いコーラを飲みながら、資本主義の泡に塗れながら、妙に軽々しくげっぷするのさ。 白い世界のガス抜きしなきゃって。 それでさ。金持ちのげっぷで吐き出されるメタンガスで、世界は充満していくのさ。 その一方で、エチオピアやアフリカの紛争地帯や、熱砂の国ではさ、喰えない人達は飢えて腹だけ空気でいっぱいにするのさ。 絞り取るだけ絞り取って、売れなくなったら使い捨てて、速さと手軽さが自慢のものに、きれいも汚いもないって、俺は思うんだがね。お前は、どう思う。 まあ、個人の主義でどうとでもなるものじゃないの。 個人主義か。全体主義と紙一重の様な気がしてくる。俺には。協賛が取れたら、全体主義になるだけでさ。多数決で決まるものには、速さと手軽さが必要でね。重すぎたら、それだけで切り捨てられて、かみ砕かれる暇も無く、石みたいに、じっとしているようなものでさ。 そうだとすると、俺は、白いさらさらの小さく美しい砂の世界に投げ出された石を拾い歩くことしかできない。埋もれてしまった、重々しい石をひとつひとつ拾い上げることしかできない。 白い世界には必要ないかもしれない。そのごつごつした離れ離れの石達を集めることしかできない。 秘密でも何でもないしさ。たとえ集めたとしても、ただ激しいぶつかり合いが待ってるだけかもしれないけどさ。 そうして、軽やかさがものを言う白い秘密に結ばれた者たちは、口々に言うかもしれない。 俺達の世界を荒し、邪魔する粗っぽい奴は、黒い世界で彷徨うだけだ。 と。でもさ。米国と敵対しているイスラムの世界の人達なんかは、決して黒でも白でもない。 どちらかというと、緑なんだ。何が貴重か、大切かで、色の価値をはかっているようなところを感じるね。それが、象徴というものかなと、最近つくづく思うようになってきたよ。 イスラムの世界では、砂漠が多かったり、水が貴重な世界では、その水を使って成長する緑は更に貴重なもので命の上の上まで突き抜けた、下の下まで、左右すべてに入り乱れているような、言ってみれば神のような存在といえるかもしれないとね。 そこへいくと、日本は美しい浜にしかない鳴き砂のような白にまっ赤な太陽が大切なのだろうね。 日の丸の旗は分かりやすい象徴なんだ。 あえて言うなら、国は白で、そのよすがとなる神的なものは赤い丸と言えるかもしれないけどさ。 あるいは、日の丸弁当的に、白は米で、赤は清めの塩にどっぷり浸かった日本の花の象徴のひとつと言える梅の実という訳。 しかも、日本がなんで、あめりかに依存しているかというと、米を食い物にしているからさ。それも主食だから、米国と筆記する限り、切っても切れない関係性は続く可能性はあるかな。まあ、最近はお手軽なハンバーガーやパンばっかリ食べてるから、そうでもないのかな。 お前、そんな取り憑かれたみたいに、訳の分らないことばかり言ってないで、なんか喰う?俺なんか持ってくるからさ。 秋山は、もう聴いていられないというように、立ち上がって、部屋の向こうへ行ってしまった。
by akikonoda
| 2006-12-28 16:33
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