多田は、熱に浮かされながら、その突かれたビニール袋が燃やされているような錯覚を覚えていた。 それも、すでに古ぼけた焼け跡のように無惨な匂いすら、漂ってきそうな気配があったのだ。 仮に、あのビニールに何かが入っていたとしたら、その錯覚は真性で、あの狂ったように興奮して突いていた白鷺の行為も、頷ける訳だが、その透明な得体の知れない影さえ、ずたずたに引き裂かれて、中の島の上から、どことはなしに、当てもなく飛んでいこうとしていた。 この幻覚作用のように、歪んだ世界にとけ込むように、一体、どこら辺りを彷徨い漂うのであろうか。 薄いビニールの膜の中に入れられているのは、もしかして、薬物ではなく、多田のような気がしてきた。 最も、目の前で巨大化し再生できたらの話であるが。 妙な熱が、薄皮にねっとりとこびりついて、窒息しそうであったのは、確かであった。 実のところ、明日の午後、多田の通う大学で、ドキュメンタリー映画の上映会があるというビラを、昼休みに学食で見た時から、この妙な熱体を持ったような感覚は続いているようでもあったのだが。 学食のこぎれいなテーブルの隣に座っていた友人から聞いた所によると、学生たちの間で、悪寒の走るような、はしかが暴走しているらしく、無期延長になったという。 その後、学校自体も封鎖され、はしかは、多田にも、ご多忙に漏れず駆け足でやって来たのであった。 そのビラには、こう書いてあった。 『プラトニウムの再処理施設工場反対のドキュメンタリー映画上映会について。 再処理工場では、1年間に原爆1000発分のプルトニウムが生産されることになる。 この工場は、建設工事の段階から、 核燃料貯蔵プールの水漏れ、 労働者の体内被曝事故、耐震設計ミスなどが発覚している。 再稼働を急ぐ政府の動きは、全く持って、核武装への暴走のようで不気味、極まりない。 他国の核武装だけではなく、自国にも、またその恐れがあるということを、忘れてはいけない。 昨今の世界情勢を鑑みて、再処理工場が某かの工作によって、テロルの対象になり得るという懸念もなきにしもあらずだが、それよりも先に、何より警戒しなくてはならないのは、目に見えないところで、目に見えない放射能が漏れだしているかもしれない現実を、見てみない振りをする方にこそある。』 その昔、飛行機を乗っ取り、国外に逃亡したグループも、そんなことを訴えていたと聞いたことがあるが、何が違うかと言えば、地元の人が、自分たちの生活のすぐ横にある、再処理工場を再確認しながら、隣り合わせで暮らしているということである。 そこで暮らす人にとっては理想も現実も、箱に詰目込まれて、身動きが取れないままである。 白鷺やビニールのように、自由に飛んでいけたらとも思うが。 もっとも、飛んでみたところで、地球規模で起こることであるから、逃げきれることではないが。 見えないブラックボックスには、見えない放射能が、魚醤のように薄っすらと暗くたまり続け、見て見ぬ振りというよりも、本当に見えないものの存在を感じ続けているだけなのだ。 それは、宗教家が信じる類いの神概念、善悪観あるいは生死観などではなく、まして、思想家の想念などでもなく、ただ、見えない「死」の箱詰めのように、そこにある。 ただ、目に見えているようで見えない危険を作り続ける箱を眺めて、見えにくい死を身守る墓守のような日々が、漂いながら続いていくのだ。 あまりに大きすぎて、危険すぎて、ゆさゆさと揺らすのも憚られるような死の箱が、すぐそこに転がっているのである。 漠然と、熱に浮かされながら、多田は、引きちぎられ風に飛ばされていくビニールを、焼け跡で拾い集めることができないほど解けてしまった人型を探し求めるように目を凝らして見続けた。 もう立っていることもできないくらい目の前が歪んできた。 泥の混じった水にひたひたと熱を奪われながら、膝をつき、熱を帯びた片目を、飛び去ってしまった白鷺が突いているような感覚が、疼いてしょうがなかった。 多田は、どうしようもなく、水に濡れた石を掴みとり、中の島に向けて屈み込みながら、白鷺から突かれるような片目の痛みに、留めを刺そうとしていた。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 参考資料 6月19日 東京新聞(朝刊)『本音のコラム』 ルポ・ライター鎌田慧(かまた・さとし)
by akikonoda
| 2007-06-22 12:41
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