62回目『原爆の日』

きょう62回目『原爆の日』
2007年8月6日 朝刊

 広島市は六日、人類史上初の原爆投下から六十二年の「原爆の日」を迎えた。爆心地に近い中区・平和記念公園では、午前八時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、被爆者や遺族らが犠牲者の鎮魂を祈り、核兵器廃絶を誓う。
 核保有国の軍縮が進まない上、北朝鮮による核実験など拡散の動きが続いている。国内では麻生太郎外相らの核保有論議容認発言や、久間章生前防衛相が原爆投下を「しょうがない」とした問題発言が相次いだ。
 こうした情勢を受け、秋葉忠利市長は平和宣言で、日本政府に「こんな思いを誰にもさせてはならない」という被爆者の気持ちや被爆の実態に目を向け、平和憲法を順守するよう求める。
 原爆犠牲者とともに、射殺された伊藤一長前長崎市長にも哀悼の意を表す。
 被爆者は今年三月末現在、二十五万千八百三十四人。広島市内に住む被爆者七万八千百十一人の平均年齢は、昨年より〇・六歳上がって七四・一歳となった。
     ◇
 画家の故岡本太郎さんが原爆さく裂の瞬間を描いた巨大壁画「明日の神話」の映像が五日夜、広島市中区・原爆ドーム前の元安川に投影され、水面に浮かび上がる壁画に、川沿いを歩く人々が足を止めた。
 壁画は一九六八−六九年にメキシコで制作後、行方が分からなくなっていたが、二〇〇三年に発見された。広島市や大阪府吹田市、東京都渋谷区で誘致の動きがある。 

東京新聞〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「市民と都市の連帯で核兵器廃絶」 広島「原爆の日」
2007年08月06日08時57分

 広島は6日、「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園で「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和記念式)が開かれ、参列者は原爆犠牲者を追悼した。被爆から62年。世界はいまなお核の脅威にさらされている。核保有大国の核軍縮は滞り、北朝鮮は核実験へと踏み切るなど核拡散もやまない。被爆国日本では、核武装を議論しようとする空気が醸されている。秋葉忠利市長は平和宣言で、時代遅れの指導者たちが核抑止という「力の支配」にしがみつき、被爆の実相と被爆者のメッセージに背を向けていると断じ、市民と都市が連帯し、人類の意志として核兵器廃絶を目指すと誓った。

原爆投下から62年となる「原爆の日」を迎えた平和記念公園。手前は原爆ドーム=6日、広島市中区で
 式典は午前8時に始まり、この1年間に死亡が確認された被爆者5221人分の氏名を記した原爆死没者名簿が、秋葉市長と2人の遺族代表の手で慰霊碑に納められた。死没者の総数は25万3008人になった。

 被爆者代表らが碑前に献花した後、原爆投下の8時15分、遺族代表の黒田由希子さん(32)=広島市東区=と、こども代表の惣田亮介(そうだ・りょうすけ)君(12)=市立天満小6年=が「平和の鐘」を鳴らし、参列者全員で1分間の黙祷(もくとう)をささげた。

 秋葉忠利市長が平和宣言を読み上げた。

 《落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪(つめ)から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き……》《辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの『地獄』でした》

 原爆炸裂(さくれつ)下で生死をさまよった人びとの想像を絶する体験に触れながら、戦後も様々な病気に襲われ、差別を受け、生きる意味を問う日々が続いたと指摘した。

 被爆の実相を詳細に述べた背景には、久間章生・前防衛相が原爆投下を「しょうがない」と発言し、米高官からは原爆投下正当化論があからさまに語られる世情を憂え、被爆の原点に立ち返る必要性があるとの判断がある。

 宣言はさらに、世界は市民の声で国際政治を動かそうとしていると指摘し、核廃絶に取り組む世界の諸都市の連携が広がりを見せていると強調した。

 2020年までの核廃絶を目指して行動を強める決意を示すとともに、核抑止論が席巻する米国の「核の傘」に頼る日本政府に対しては、被爆の実相と被爆者の哲学に謙虚に向き合い、世界に広める責務があるとし、米国の誤った核政策に「ノー」と言うべきだと求めた。

 最後に、原爆犠牲者と、凶弾に倒れた伊藤一長・前長崎市長に哀悼の意を示し、「核兵器のない地球を未来に残すため行動する」と誓った。

 続いて、こども代表の森展哉君(12)=市立五日市観音西小6年=と山崎菜緒さん(12)=市立東浄小6年=も「平和への誓い」を読み上げた。

朝日〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

被爆者の思い届いた…原爆症認定基準緩和へ

 ◆原告ら「国は控訴取り下げを」

 「一番の収穫」「口約束で終わってほしくない」。首相として6年ぶりに被爆者代表と面会した安倍首相が原爆症認定基準見直しの検討を表明した5日、出席した代表らが笑顔を見せる一方、原告の中には冷静な受け止めもあった。国の敗訴が続く原爆症認定集団訴訟について、安倍首相は「裁判は別」と慎重な姿勢を見せており、原告らは「控訴の取り下げを」と求めた。

 懇談会はこの日夕、広島市南区のホテルで約30分間、行われた。安倍首相は「原爆の悲惨さをしっかりと胸に刻みつけながら、次の世代へと語り継いでいくことが責任であると思う」とあいさつしたうえで、基準見直しについて触れた。

 出席した広島県被団協理事長の坪井直さん(82)は「(基準見直しの発言は)一番の収穫。トップの発言なので、後は右へ倣えでやってもらうだけ」と笑顔。近畿訴訟の原告の一人、葛野須耶子さん(77)は「原告らは高齢で体が悪くなっており、一刻も早く助ける内容を示してほしい」と期待する。

 この日、広島市内で開かれた広島訴訟の市民集会でも首相の発言が報告された。亡くなった夫の訴訟を承継した西妙子さん(66)は「口約束だけで終わってしまうのではないか。きちんと確認できるまでは、信じられない」と述べ、佐々木猛也・弁護団長も「一歩前進だが、国が今後どう動くかを注視したい」と話した。

 原爆症認定訴訟全国弁護団の安原幸彦副団長は「重要な決断と受け止めているが、『裁判は別』という言葉は気に掛かる。6地裁で国の認定を取り消す判決が出ており、訴訟の解決も同時に図られなければ原告は納得できない」と語った。

 一方、7月末に結審した長崎地裁第1次集団訴訟の原告、下平作江さん(72)は「裁判では、認定を巡って当時の被爆線量を機械的に判断するのは誤りだと主張してきた。見直しを検討するというが、どうやって当時の線量を正確に推定できるのか。被爆者が苦しんでいる実態を見て、全員を認定すべきだ」と強調した。

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 安倍首相の判断は、厚生労働省にも予想外だった。

 訴訟を担当する同省幹部は、「夜のニュースで初めて知った。事前の首相官邸との打ち合わせでも、全く聞いていなかった」と驚きを隠せない。実際、柳沢厚労相も3日の閣議後記者会見で、安倍首相が被爆者と会う影響について、「それに伴って、何か今までの判断基準を変更するとは聞いていない。私どもも予定はない」と明言していた。

(2007年8月6日 読売新聞)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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by akikonoda | 2007-08-06 09:15
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