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PTAの集まりで思った幾つかの事 



学校の成人委員会からの要請でPTAの集まりにいって来た。

講師の先生の、中島宏先生はただ楽しく遊ぶのが仕事と言う訳ではなく、リクレーションの専門家で地元の幾つかの大学の先生をされているそうだが、声色を変幻自在にかえる、テンポの良い演劇を見ているようであった。

ぱあーと たのしく あそぶ のが PTA です。

と言いながらも子供や人に接する時にも、いつもそうであるのだろうというようなちょっと落語的な語り、みぶり、てぶりの柔らかさと間のよさに観衆?も引き込まれていた。


親の集まりとしてPTAが出来る事は何かということで、

例えば、近所にこどもの射幸心を煽るような遊び場やスーパーが出来たとしたら、

機械設置状況の確認
こどもたちが保護者無しで遅くまで遊んでいると声をかけ、そこから帰す義務
スーパー等で起こった万引きの実態等(名前はふせているらしい)の通告義務

等を具体的に、覚え書きとして交わしておくことが必要であると言う事。

近くに出来て、煙たがるだけでなく、どうすれば、良いかを考えていく事も、必要であると言う事。

等。

親も一緒に、地域をつくっていくと言う事をPTAでも実践されているというのは、職業柄、自然な流れであるようで、かなりしんどいであろうことは経験上承知しているが、それでもそこまでのテンションの高さ、柔らかい前向きさは、子どもたちには、ありがたいことではある。

それにしても、気になったのは、男性は講師の先生と最初に二人、最後に一人挨拶された方ぐらいで、あとは、女性ばかりの集まりになっている事。

日本社会が子供が幼いときの子育ては特に母親任せ、先生任せという事。

同じ世界の空気を吸っても、住む世界は別々であって、家庭の中でさえ思っている事がかけ離れてしまうのは、こういった面からも、垣間見る事が出来る気がした。

男女共同参加等と言うものは、仕事だけの事ではなく、子育ての場に置いても同じように必要な事であり、家庭生活のバランスの偏りを少しでも減らせるような視点も必要であると思われる。

自分も、子どもが生まれる前に、短期間であったが、養護学校で福岡市の方から派遣されて、子ども達と一緒に先生として過ごしていたときがあったので、親ではない視点も味わって、先生のしんどさも幾らかは解っているつもりではあるが、子供の視点も考えながら、色々な目線が増えていく現実と言うものを噛み締めていたりする。

それがいかされて成熟に繋がれば良いのであろうが、忘れてしまう事も多々あり、やはり、定期的なリハビリというかメンテナンスが必要であるのは、間違いない事だと思われた。

何か自分にとって大きな出会いとなったことは、忘れないように、思い出す事もまた、必要であると。

〜〜〜〜〜〜

以前勤めていた養護学校では、子ども達は、重複身体障がいをもっていたりしながら、学校にスクールバスでやって来ていた。

小学一年生のクラスだったので、今のせがれの年くらいの子ども達であったが、トイレもひとりでは困難な子もいたので、横で終わるのをじいっと待ってたりした。

なかには、ふらあっと裏山に駆け出す子もいたが、何が起こるか解らないので、正直、毎日くたくたであった。

子ども達は言葉がしゃべれない子がほとんどだったが、よだれを垂らしながら、にいっとわらってたりすると、自分もなんとかこの子たちと生きていけそうな気がしたり。


自分の子どもが幼稚園に入って、介護の勉強の延長線上で在宅介護をさせてもらったが、高齢者の方々は、それぞれ色んな生き方をされて、ここまでたどり着いたと言うこともあり、色々お話を伺ったりしながら、手助けできる事をするような。

そういった忘れられない人の臭いやらずるっとしたものやにいっとしたものを含めた人との交わりを忘れたら、いかんなと、中島先生のお話を聞きながら思っていた。
by akikonoda | 2008-06-06 20:27
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