アフガンの男性遺体、現地の知人が伊藤さんと確認
アフガン邦人拉致 伊藤和也さん遺体発見の一報を受けて、タイ・バンコクの空港で無念の表情を見せるペシャワール会の中村代表(27日午後)=尾崎孝撮影 アフガニスタン東部で日本の民間活動団体「ペシャワール会」(福岡市)の伊藤和也さん(31)=静岡県掛川市出身=が拉致された事件で、同会の福元満治事務局長(60)は27日午後、福岡市中央区の本部事務所で記者会見し、同国東部の谷間で、銃で撃たれた伊藤さんの遺体が見つかったと発表した。 バンコク滞在中の現地代表・中村哲医師(61)が、伊藤さんをよく知るアフガン人医師が遺体の顔を見て確認した、と伝えてきたという。 現地ナンガルハルのブディアライ村で地元民に運ばれる伊藤さんの遺体=AP 福元事務局長によると、遺体の発見場所は、アフガン東部ブディアライ村の北3~4キロの谷間。犯人が逃走中に殺害したとみられるという。遺体はその後、同村まで運ばれ、27日午後、同会がパキスタン・ペシャワルで活動拠点にしているPMS病院のズィア・ウル・ラフマン副院長が確認した。副院長は伊藤さんをよく知る人物で、福元事務局長は「伊藤さんの死亡は間違いない」としている。 遺体はジャララバードに運ばれ、ペシャワール会の日本人スタッフと日本大使館員が改めて遺体の確認をする。 中村医師は28日にアフガン入りし、ブディアライ村で、伊藤さんを弔うイスラム式葬儀に出席する予定。遺体はカブールの大学で検視する予定で、その後、中村さんが付き添い飛行機で日本に搬送するという。 伊藤さんは2003年12月から同国東部ダラエヌールの試験農場でサツマイモやコメなどの栽培を現地の人々に指導していたが、26日朝、同診療所から数百メートル離れた井戸付近で運転手とともに拉致されていた。 (2008年8月27日19時52分 読売新聞)〜〜〜〜 伊藤さんはサツマイモや米や井戸をつくっていただけである。 芥子の畑を変えたいと思っていたとニュースで聞いて、なおさら、つらい。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「伊藤さんの遺志継ぐ」とNGO代表 アフガニスタンで誘拐され遺体で発見された伊藤和也さんが所属していたNGO「ペシャワール会」の中村哲・現地代表が、アフガニスタンへ向かっています。 Q.伊藤さんに何と声をかけたい? 「『ご苦労さまでした。ここまでしてあなたがやってきた遺志を継ぎ、退くことはありません』と」(「ペシャワール会」 中村 哲 現地代表) 中村・現地代表は、滞在先のタイ・バンコクから27日深夜、パキスタンのイスラマバードに到着しました。 この後、「ペシャワール会」の拠点があるパキスタン西部ペシャワールへ移動し、28日早朝にはアフガニスタンのジャララバードへ向かう予定です。 中村さんによりますと、28日は伊藤さんが働いていたブディアライ村で、村人らが参加しての葬儀が開かれる予定だということです。そのうえで、伊藤さんの遺体は2、3日中に日本へ搬送したいとしています。(28日04:36) TBSニュース〜〜〜〜〜 アフガニスタンで拉致された非政府組織「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)は、捜索が再開された27日午前、遺体となって現地の渓谷で見つかった。5年にわたり、乾いたアフガンの大地に水と緑を与えてきた若者の善意に対するあまりにも非情な仕打ち。無事救出を祈ってきた仲間は深い悲しみに包まれたが、意義深い事業から今後も撤退する意思のないことも強調した。【朴鐘珠】 27日午後2時過ぎ。「伊藤君をよく知る現地の村人が身元を確認しました」。ペシャワール会の本部が入る福岡市中央区のマンションで、そう切り出した事務局長の福元満治さん(60)は両手を握りしめ、怒りで顔がこわばっていた。 会見は約1時間に及び、現地のスタッフから、現地代表の中村哲医師(61)を通じてもたらされた情報が明らかにされた。福元さんは「最悪のことが、起こってほしくないことが、やっぱり起こった」と語り、中村医師が静岡県掛川市の伊藤さんの実家に「遺体発見」を知らせたことも告げた。 事件が報じられた26日午後から繰り返された記者会見。それまで冷静さを失うことのなかった福元さんの声が一段と大きくなったのは、政情不安が高まるアフガンで、活動を続ける是非を問われた時だった。「ここで挫折しては絶対にだめだ。非難の声は甘んじて受けますが、これでやめると日本人はだめになる」。ほおには悔し涙がこぼれていた。 伊藤さんの訃報(ふほう)を伝えてきた中村医師は電話口で「良くない方の推測になった」とつぶやいたという。誤報であってほしい願う半面、遺体を確認したのが現地の村人だったと聞き、希望は絶たれた。5年間、共に畑で汗を流した伊藤さんの顔を、村人が間違えるはずはない。その後、ペシャワール会のスタッフも身元確認をしたという情報も入り、望みは打ち砕かれた。 現地スタッフは、拉致された伊藤さんを捜索するため、1000人もの村人が総出で山を登ったことを伝えてきた。その話を紹介した福元さんは「伊藤君、つらかったなと。でも君はやったなと、そう言ってやりたい」と語り、一瞬救われた表情を見せた。 毎日〜〜〜〜〜〜〜〜 伊藤さんは「得難い青年」と中村医師記事を印刷する アフガニスタンで非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)が武装グループに拉致され死亡した事件で、同会の現地代表中村哲医師(61)は27日夜、イスラマバードの国際空港で記者会見し、伊藤さんは「アフガン人にとけ込み、今どき得難い青年だった」などと述べ、死を悼んだ。 中村氏は28日にアフガン入りし、伊藤さんにゆかりのあるアフガン人らとともに葬儀を行った後、遺体をカブールに搬送、ドバイ経由で帰国させる準備を進めている。 中村氏は「残念で、何よりもご両親に申し訳ない」などと目に涙を浮かべながら語った。 また「アフガンは危機的な状況で、全土が無政府状態化している」と指摘。治安に対する認識が甘かったと省みた。 ペシャワール会の事業に関しては、日本人スタッフは全員帰国させるが、中村氏がアフガンに残り、アフガン人スタッフと事業を継続する方針という。 [2008年8月28日7時35分]日刊スポーツ〜〜〜〜〜〜 無政府が問題というより、政府にも問題があるから、いろいろなことが起こってくることは、確かであろうが。 それでも、孤立無援でも、全部引き上げないで、ひとりは残るという覚悟が、すさまじい。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ペシャワール会、中村代表残し日本人職員8人が帰国へ アフガニスタン東部で日本の民間活動団体「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)が武装グループに拉致、殺害された事件を受け、同会現地代表の中村哲医師(61)は、アフガン国内で活動する日本人スタッフ8人を数週間以内に帰国させることを決めた。 今後、同国内には中村医師1人が残り、アフガン人現地スタッフと共に活動を続けるという。 同会の福元満治事務局長(60)によると、この方針は26日の事件発生後、中村医師から福岡市中央区の同会事務局に電話で伝えられた。中村医師が伊藤さんの遺体とともに帰国し、伊藤さんの葬儀が終了した後、福岡市で理事会を開き、正式決定する見通しという。 事件発生前は、アフガン東部ダラエヌールの診療所と試験農場では、伊藤さんを含む日本人が4人、アフガン人約10人が活動。かんがい用水路建設が進むジャララバードでは日本人5人とアフガン人約100人、日雇い労働者400~500人が働いていた。 伊藤さんの遺体は、アフガン国軍のヘリコプターで現地時間の28日昼ごろ、ジャララバードからカブールに搬送。同日午後に検視を行った後、29日以降、日本に向けて運ばれる見通し。 (2008年8月28日 読売新聞)〜〜〜〜〜 【カブール栗田慎一】アフガニスタン東部であった非政府組織「ペシャワール会」メンバーの伊藤和也さん(31)拉致殺害事件で、地元警察に拘束された拉致グループのリーダーを名乗るアーデル・シャー容疑者(25)が「今月上旬、(反政府武装勢力の)タリバンから外国人拉致を命じられた」と供述していることがわかった。同容疑者は当時、パキスタンのアフガン国境地帯にいたが、命令を受けて帰国。他のメンバー3人と合流して拉致を実行したという。 地元ナンガルハル州警察のパチャ本部長が29日、毎日新聞に明らかにした。 供述によると、シャー容疑者の父親は、ヘクマティアル元アフガン首相が率いる旧軍閥の「ヘクマティアル派」(ヒズベ・イスラミ)メンバーで、容疑者も同派に参加。01年のタリバン政権崩壊後、同派とタリバンが関係を深めたためタリバンに加わった。パキスタンの山岳地帯で、約3カ月にわたりタリバンに近い地元武装勢力に本格的な軍事訓練を受けた経験があるという。 米国やアフガンのカルザイ政権は、パキスタンのアフガン国境地帯がタリバンなど武装勢力の温床となっていると非難。アフガンへの越境攻撃を防ぐため、パキスタン政府に武装勢力掃討を強く求めている。 伊藤さんと運転手は26日早朝、井戸の見回りのため訪れたジャララバード北郊のブディアライ村で、シャー容疑者らに拉致された。ペシャワール会などによると、道路に石が並べられ、通行が妨害されていた。容疑者らは伊藤さんが現場を訪れることを知って、事前に準備をしていたとみられる。 毎日〜〜〜〜〜〜〜
by akikonoda
| 2008-08-27 20:46
|
以前の記事
2011年 12月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 カテゴリ
フォロー中のブログ
地球と宇宙の画像 惑星テ... today's fron... ザンビア日記(Miyos... イランという国で 地政学を英国で学んだ Florencia Ru... 写俳日記(写真俳句) 写... 写真でイスラーム 文化人類学解放講座(20... イノレコモンズのふた。 DJ Moon pres... ... 島田快速便 自然とともに生きる 徒然草 村人生活@ スペイン イスラムアート紀行 空のポケット*Pocke... ミクロネシアの小さな島・... How It Is まっくわぁるど アジアⅩのブログ 不思議空間「遠野」 -「... ウィーンとパリと好きなも... bikkeのat home 「現代・遠野物語」 popo 田口ランディ Offic... 幸福のアラビア滞在記 ~... ドイツで生きる ~Kom... えるだまの植物図鑑 えるだま:ペルシャの国から 和歌「遠野」 かものはしが覗いたパキスタン JhooLe LaL タスマニアで生きる人たち Avec France ... NY金魚 1 エクス・ポ日記 ヒカシューBlog 聖地エルサレム滞在記 楠かつのりブログ・三々五々 連載小説空間 throu... 不思議空間「遠野」別館 オンタク実行委員会blog 小竹浜ブログ メモ帳
ライフログ
タグ
短歌(1557)
記憶(501) 詩(233) 夢詩(86) 小説(44) 夢短歌(31) 俳句(26) 日々の事(13) さびある(11) 日々のこと(11) ガザ(6) インフルエンザ(6) 「時代精神」というもの(4) 映画(4) サリン事件(3) 『君はせーらー服のどっぺるげんがーを見たことがあるか?』(3) 「環境整備」(2) 『どろん虚』(2) どうわ(2) 甲斐大策さん(2) 最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||