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『宣教師さびある』9



おじさんが、徐に包丁を白い布巾に包み込むのを見て、さびあるは思わず言った。


おじさん、其の磨きあげた包丁をどうするのですか。


おじさんは、答えた。


納めるだけさ。


何にですか。


ここにさ。


と、言って、おじさんは、自分の懐に、包丁を納めた。


おじさん。
何を考えているのですが。
僕には何がなんだか理解できません。


そうだろう。
お前には、解らないことが多すぎるのだ。
実は、俺にも、他の誰にも解っていない事かもしれないがな。


おじさんは、窓枠ににじんでいた赤い夕日を解放するように、小さな丸窓を開けた。

今しがた切り裂かれた喉頸から、赤い血が飛び散るように、目に染みてきた。


なあ、さびあるよ。

お前の父親が死んだ時も、ちょうどこのような赤々とした夕日が沈んでいたのだよ。

お前の父親はな、「市場」の連中に引きづり込まれ母親がつるされているのを、今のお前みたいに、まぶしそうに、そして、いぶかしそうに見ていた。

吊るされた牛が、肉になる過程を見るように。

それを見ている、俺も、また其処にいた。

お前の母親は、そんな俺たちを、乱れた髪の間から、紐にくくられたローストビーフみたいに、じいっと、見開かれたまなざしで、ただじいっと見ていた。

吊るされたものには、明らかに、何かが宿っていた。

お前だったか、何だかわからないもの。

それは、今でも、俺にも解らないものなのだが。



そもそも、なぜ、母は「市場」で吊されるような事になったのですか。
父がそこで死んだというのも、何が何だか解りません。



お前の母親が「市場」の掟を食べてしまったからだ。


おじさんは、徐に言った。



その「市場」の掟とは、一体何なのですか。



お前やおれを形つくるもの。
少なくとも、お前が何で出来ているかが解れば、すこしは見えてくるだろうが。
たとえば、さびあるよ。
俺たちは、食の神様の為に生きているようなものだと考えたらどうだろうか。
食の神様は、何だってほしがるのは知っているだろう。
お店、お金、時間、人、とりわけ、食べられるもの、食べられるためならなんでもいいというような、平等性を備えておられるといった信条をお持ちだ。


ええ、確かに。
食の神様は貪欲としか言いようがありません。


そうやって食の神様は、世界中に貪欲なまでに広まっていこうとしているのだ。
「市場」を拠点にしながら。
by akikonoda | 2008-09-22 12:18 | 小説
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