もしも「時代精神」というものがあるとするならば、「それ」はおそらく命や時間や身を削りながらも重ねていかれるもので、その中で時代との重なりを明確に認識できるものであると思っているが、誰にでも伝わりやすいようなひとつの「概念」として、今ここで「それ」を「時代精神」と名付けて置こうという試みには、少なからず理由がある。 なぜ唐突にも、そのようなことを考えるようになったのかと言うと、ここ数年、自分の中で「時代精神」的なるものと出会う頻度が増していると思われるふしがあるからであるが、「それ」をできるだけ身近かに目にして感じ、そのままを書き記し、書き残す必要性を感じているからでもある。 確かに、「それ」は他人からして見れば、意味の無いことであり、書き記したところで何になるかと言われる類いのものかもしれない。 たまたま「それ」にであえたとして、「それ」に没頭して出来るだけ「それ」に集中したいという血湧き肉踊る欲求が起こるような、振り返り、先を考えることが出来るような、終わりのない再/構築を繰り返している過程に立っているという意識の土台のような「時代精神」というものを、認識できるかどうかで、今後の地球上の展開が変わってくるとさえ思っているので、認識しやすい形に「それ」に触れたと思われる現象の幾つかを、これから具体的な思考・行為を通して物語的なものとして、提示していこうと思っている。 実のところ、今回の東京行きも「それ」に大いに関係しているのであるが、ガザの現状を見て来たシバレイさんの生の声や、千坂恭二さんと前田年昭さんのトークセッションを聞くことで、シバレイさんの「生」で見て聴いて感じたガザやイラクや、千坂さんが体験して来た戦後の革命的世代の総括のような、もっと言えば、明治維新までさかのぼるような、世界の中の日本における「世界革命戦争」論の中に、「時代精神」というものの萌芽が見えるような気がしていたのである。 世界中の「戦争」、「闘争」あるいは「革命」のような、力と力のぶつかり合いが起こるところには、よかれあしかれ、その時代を映す鏡のような、芯のような、核のような「時代精神」というものが、裂け目のようなところから見つかると思っているので、ガザで今展開している国際「法」を平然と無視した金融資本の後ろ盾のある国家からそれの無い国への圧倒的な「暴力」をやめさせる為にも、その裂け目から、国家という枠に限らず世界中の人々がその力を合わせ今の時代を変えていく手だてとして暴力的にしろ非暴力的にしろこの時代に必要なあらゆる原因を重ねて反映し、うねりの核になるような「時代精神」のようなものを掴むことが出来ればと、自分なりに思い描いていたのである。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 写真美術館にて 朝早く福岡を出発して、東京に着いたものの、シバレイさんのガザのレポートまでかなり時間があり、写真美術館にふらりと足を向けてみた時のことである。 美術館の地下室では、カウボーイハットを被った男が火に当たりながら何かの気配を感じているような映像とともに背後から忍び寄る音が聞こえてくるような、何が起こっているのかよくわからないような状況を予めセットした不安感を醸し出す仕掛けのようなものがあったが、しばらく見ているうちに段々と何かに襲われてしまったような心もとなさを感じ、どこから現実でどこからが虚構が一瞬分からなくなって、思わず振り返ってしまうようなさしせまったものを感じ落ち着かなくなってきたので、そそくさと退場した。 一昨晩、真夜中と朝方の二回消防車が駆けつけるような放火があったので、なかなか、寝付かれなくなり、寝不足がちであった自分に追い討ちをかけてくるような映像だったのである。 なにせ、その放火現場の近所に住む友人などは、二、三件隣で起こったというので、老婆が助けを呼んでいたので火消しに躍起になっていたというから寝付けないどころの騒ぎではなかったし、眠気も火とともに消え去ったという。 別の友人によると、今回の放火は缶を使ったものであり、驚くべきことに、この他にも三件の不審火が一晩のうちに同時多発テロ、あるいは時間差テロのように起こったと言うのであるから、芸術の世界の虚構の中だけでなく現実にもそのようにどこからともなく背後から声が聞こえてくるような、明らかに悪意と殺意を持った行為が潜んでいることを、敏感肌かアレルギー反応のように、うずうずと感じていたのであった。 そうして、友人から、電話がかかって来た時のやりとりを、先ほどのカウボーイのでて来た映像のように、繰り返しながら、だんだんと細部を思い出してもいた。 「ねえ、あきちゃん、聞こえた?昨日の放火事件の起こった夜の11時くらいに、鉄の棒を打ち付けるような音がずっとしとったの。私は、気になってしょうがなかったんやけど」 「昨日の10時頃には爆睡しとったので、わからんかったけど、気味が悪いね」 「そうなんよ、先週なんて、うちらの下の階のお家に、不審者の男の人が来て、配達物を装って部屋に分け入ろうとしたらしいから、うちらのマンションも放火犯に狙われてとるかもしれんよ」 「まあ、我が家に入ったとしても、持っていくものがないから、お疲れ様としかいえんけど。火はやめてもらいたいね」 その数日前に、福岡の某テレビ局に、爆発物を置いていったという男性と見られる画像が公開されていたが、その直後の放火事件であり、福岡だけでなく日本中でも、そのテレビ局の支局に、旧日本軍の鉄砲玉が送られて来て、「赤報隊」という文字が刻まれていた紙か袋か何かに判別できるように書かれていたというから、地域だけでなく国中にばらまかれつつある、きな臭いものを嫌がおうにも嗅ぎ付けてしまうのも致し方ないかもしれないが、そうこうしているうちに時々顔をこちらに剥き出しにしてくる、生物の中に潜んでいる本能のようなものが頭をもたげて、こちらの様子を伺っているようにも思えたのあった。 そういえば、この写真美術館を訪れた時、地下鉄サリン事件が起こったことを思い出していた。 子ども達が生まれる前のことであった。 友人と街を歩いていた時に、偶然目に着いた古本屋のワゴンセールのような台の上に「太陽」という雑誌を見つけ、何となく開いて、手に入れたのであった。 臨床心理学の権威が輪廻転生について語り、宗教学の権威が朗らかに松本死刑囚と対談している写真を掲載したものであった。 あれは確か、連休の谷間であったように記憶しているが、あの時と同じような、きな臭さをどこかで感じている自分が、自分の中で、少しだけずれているような感覚が増していき、域を超えようとしているような胸騒ぎをどこかでなだめようと、階段の上から差す陽光を目指して重たい足を持ち上げるようにして上っていった。 階段を上りきったところで、展示室に入ると、アンディ・ウォーホールの撮ったカメラテスト的なものが目に飛び込んで来た。 ルー・リードの若い頃の映像や、岸田今日子さん等の映像であったが、入り口を振り返ると、スーザン・ソンタグの生前の画像が幾つも並んでおり、しばらく、その場に釘付けになって見ていた。 他の人はせいぜい1〜3台のモニターに展示されていたが、ソンタグに限っては、モニターが横一列に7、8台分があてがわれ、尋常でない力の入れようなのであった。 アンディはいないので、学芸員の人の中で、ソンタグびいきの人がいたのであろうか等と漠然と眺めているうちに、最初はソンタグという個人の名前しか浮かばなかったのが、左端の画像の中のソンタグに、まるで彫りたての白い顏の彫像か、熱から冷めて固まる一歩手前の蝋人形のような、ある種の硬い緊張感を見て取れるようになると、次に、右端まで幾つかあるモニター画像の中のソンタグの着ている洋服が変わっていないことに気づいた。 そこから、この映像は、同じ日に撮られたであろうと予測できたが、その場で共有した時間だけでなく、それ以前/以後も、アンディとソンタグの間で行われていた/いくような関係性を予感させる意味での、「カメラテスト」という実験的な試みの意味が少しずつ見えて来たように思えた。 ソンタグがアンディに限らず、他の人に対しても、多かれ少なかれ行っていたであろう、よそよそしさと親しさが同居していながら、緊張感をほぐしていく/いかないような表情や仕草は、カメラテストの段階における、物語がいつまでたっても始まらない「試し取り」のある種の気軽さとともに、演技するというよりも其処にいるだけでいいというような、その「存在」自体の「肯定感」、あるいは逃げ口上的な「別格・別物感」も含まれているようにも見受けられた。 そういった一連のソンタグの、サングラスをとったりつけたりする動作、椅子に座って煙草を吸っている姿、目の前で歯を剥き出し笑っているような威嚇しているような行為を見ているうちに、つい最近ガザへの爆撃が日常化し休戦を一方的に宣言したり破棄したりを繰り返すものたちが授けるエルサレム賞を受賞した村上春樹氏の個人的な「卵」とシステム的な「壁」の比喩が頭に浮かび、その後、その政治的な意味合いがあからさまとも言える賞を受けた時に沈黙したり拒否したりするよりも話す事を選んだというソンタグのイスラエルのガザ攻撃に関する批判と、この賞をもらうのは文学者として名誉であるとも述べていた複雑な彼女の立ち位置を示しているようなスピーチが続けざまに固まりとなって押し寄せてきた。 そうして、その時に、あたかも、言葉とイメージと時の重なりが自分の中で唐突に繋がっていき重層的な性質を持つ瞬間に「時代精神」的なるものが生まれるような、「それ」がソンタグの姿や言葉を通して立ち現れて来た場面に出くわしたような衝撃を感じたのであった。 (続く)
by akikonoda
| 2009-03-02 10:10
| 小説
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