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『時代精神』というもの



                   核 と 絶叫 



三軒茶屋辺りをうろついていた。

とあるカフェで、イスラエルによるガザ侵攻があった現状を見て来たシバレイさんの話を聞く為にやって来たのであるが、先ほどの道玄坂や赤報隊のなごりを嗅ぎつつ、足や鼻をひくひくさせながら歩いて来て、すでに、身体や意識が疲労を感じはじめていた。

やっとそのお店を見つけて、扉を開けようとしたが、まだ時間も早い事もあって、話を聞きに来ている人は、ほとんどいないようであったので、もう少し、ここいらを歩いてみようと、商店街のほうに足を向けてみることにした。

道の向こうには、交流会館なのか、公共の建物らしきところがあり、そこに踏み込むとどこからか太鼓の音が鳴っていたので上の階にあがってみる事にした。

開かれた広いフロアで、アジア系やヨーロッパ系の外国人の人達が、「藤娘」の格好をして、踊っているところであった。


藤の花房が、人工の光さす天井の下、くるくると空に色を止めどもなく流すように、揺れていた。


藤の花は、花の導火線のように、花房のひとつひとつを順々に枯らし落として行くと聞いた事がある。

燃やすのではなく、咲いた後、静かに干涸びて、誰のせいでも誰のためでもなく、落ちて地に帰って行くのである。

そうして、花の咲いた幻影のほんのひとときを、緑の細い蔦が絡めとりながら、吸い続けながら、じわじわと生きながらえていくのである。


日本の今。今の日本に似ている。

と、その時、漠然と思った。


現状を見ているのか見ていないのか分からないが、日本は島国であり、江戸研究の延長線上の鎖国状態であると言う人もいるが、実際の日本、実態としての日本は、はたして、そのようなものであるのか。と。


見えやすい、見え透いた漫画大国、ゲーム、パチンコ大国日本としてではなく、むしろ、オウム事件や統一教会事件のように一目では見えにくい宗教大国としての日本の方に、意識の蔦がしゅるしゅると向かっていくようなのであった。

漫画とゲームがコラボしたり、可愛い大使を送ったり、パチンコや統一教会のお金の一部が北朝鮮に渡ったりするという現実もある一方で、イラクでの仮想戦場で撃ちまくるゲームを作ろうとする日本が見え透いた分かりやすい日本であるとするならば、宗教の世界においての日本は、一体どのようになっているのだろうと。



部外者としての宗教体験的なものは、子どもの頃、過ごした事のあるイランで聞いた、ある叫び声であった。

アローホアキバル(神は偉大なり)

と、イラン・イラク戦争中にイラクからやってきた爆撃機の空襲の後や、何かの決めごとがあったのだろうか、部外者の異国人の自分達家族には、その示し合わせも知らされぬまま、屋上に出て、一定の時間をかけて絶叫するイランの人たちを見て、叫び声からどうしようもなく響いてくる秋波を、何かに伝えようとしている野生動物の遠吠えのようなものを、耳を塞いでみたとしても、体中が感じ続けていたのであった。

未だにあの声達は耳に残り続け、この戦争やこの宗教的なるものが合い言葉となるような、共通感覚を一瞬にして作り得るものとは一体なんなのであろうかという思いから逃れられなくなったような気がしていたのである。

宗教的なるもの、信仰、戦争というものに、真っ向から向き合う事が出来ないような自分がずっとおり、宗教に限らずとも、右や左も知らず、無政府主義や核で騒動を巻き起こしている北朝鮮の主体主義のなんたるかさえも知らない自分にとって、その何たるかを知るには、直接、その時代を生きている人、生きた人たちの、今なお生きている言葉をひっくるめての身体を通した言葉や声をその場に行き、その場で聞く事でしか、その「何か」を身体ごと知る事が出来ないのではないかという思いが、いつもどこかにあった。

それは、その叫び、絶叫のようなものは、何もなかったように平和であった日本に帰って来ても、どこかでくすぶり続けていた「何か」に触る類いのものであった。


自分の今住んでいる日本だけでなく、韓国や北朝鮮、中国、ソ連でさえも、そういった何かしら、宗教的なるものの大きな網の目が掛かっているのではなかろうかと、ここ何年か思い続けていたのもあった。


亜米利加国内においても亜米利加政府の内部犯行と噂し続けられている911事件が起こったり、ビンラディンを探しているようでアフガニスタンをむちゃくちゃにしたり、はじめからなかった大量破壊兵器を血眼に探す亜米利加政府とイラクの人たちがフセインを生け捕りにし首つりにしたり、サブプライムローンの破綻、リーマンブラザーズ、GM破綻と世界を揺さぶり続けている金融危機の一連の動きの渦に巻かれて、底を見たような気がしたとたんに、目くらましをされるように、海賊船の話や、核の傘の問題を突きつけるように、黒い水のようなどろどろとした汚泥が、底の底から一気に吹き出して来たようであり続ける世界の中の日本。


複雑に絡む金融と戦争の根の深い藤の蔓ように、地の底にはびこり、地上においても何かの支えを見つけては、世界中をゆるゆると締め付けながら最初は柔らかく、しかし、しがみつくと離れない藤の蔓が、そこかしこを浸食しているような気がしていたのである。


「赤報隊」を名乗るものからのNHKへの銃弾送りつけ事件もそのひとつでしかなく、引っ掛かり続けていたものの、北朝鮮の近隣諸国の世論の不安を煽るようなテポドン騒ぎも、また、何かしら絡めとられ、吸い付かれて行くものを感じさせていたのである。



そもそも、そのように思うようになったのは、ある女子相撲の映画で、戦争反対の詩を読ませてもらったことがきっかけで友人となった映画監督の方の体調が芳しくないという事をお聞きした頃からだった。

その映画で、戦争反対の立場から、ほんの二、三年前迄は誰にも知られる事なく遠い国の事のように思われていたイランでのロケもしたいということをお聞きした時に、自分にとって遠い過去に結びつけられる、一本の蔓のような、あるいは、叫び声に似た響きを持つ一編の詩でもって、その見えにくい「何か」を捉え、その言葉の先にあるものを予感させるものがあったのである。

監督は、最初は、イラク戦争の現状を捉えたかったという事であった。

イラクで高遠菜穂子さん達の拉致事件が起き、ボランティアとして地元の方々と関わっておられた高遠さんがいたこともあり無事に解放された後も、自己責任と言うバッシングを受け、その後にも報道関係の方や、地元の武装勢力の人たちに殺されて亡くなったと言われていた方もいたこともあり、イラクに行く事が自粛されていた為、イランに矛先を向けたのである。

その頃から、亜米利加やイスラエルがいつイランに攻撃をかけるかと言う事もささやかれていたけれど、ちょうどそれを前後するかのように、国際情勢に詳しい田中字さんのメールマガジンで、イランに行くという事を書いておられたので、面識がないながらも、メールにて、今イランに行っても大丈夫であるかと言う内容のことを伺ったところ、

もしイランで死ぬとしたら、盲滅法につっこんでくる車にはねとばされることぐらいではないか。

といった、イランの交通事情の荒っぽさや過密さを考慮しての、心配はないのではないかと言うような言葉を返してくださったので、二十数年ぶりに、イランに行く事を決意できたのであった。

子どもも二人いるので、子ども達にも、懐かしいイランを見せてみたいという思いから連れて行くことにしたが、現地には映画の下見として、まず行ったので、初の海外渡航がイランになって、仕事の休みを利用してついて来てくれる事になった夫は、

もしかして亜米利加とか行く時に、妙に調べられたりして。

と、冗談めかして、笑っていた。

そもそも夫が田中さんのタリバンに関する本を読んでいたのを、奪うようにして読んだ経緯があり、夫は田中さんの語る中から垣間見たであろう中近東的なるものに少なからず興味があったといえるが、子ども達は訳も分からずついて行った二十数年前の自分のように、ただ、知らないところを旅してみたいと言う、旅本来の意味において、何も植え付けられてないままの、子ども達自身の生の目で見たままのイランを、心に残してほしいと思ったのである。

イランには、まだ、どこか日本が今にもなくしつつあるような、なつかしい「何か」があるような気がしていたのもある。

少なくとも、その時の自分は、そう思っていたのである。

実際にイランに行ってからも、イランの人は、こども達をだっこしたり、話しかけて来てくれたり、乗り合いバスに乗って、行き先が分からなくなると、日本語で教えてくれ、降りる間際に、泥棒には気をつけて。等と気を使ってくれる人もいた。

その時、久しぶりに、ペルシャ語(ファルシー)の言葉の中で、流され続けたような、その場の出来事を、その場で思考され使われて、積み上げて行かれるものの厚みの違い、その異言語空間においては、語られる対象もまた違ってくるような感覚を持った。

それは外国にいる時に必ずやってくる感覚であるが、それをとっぱらったところの、利害関係のない、ただ知り合いたいと言うような、言葉のいらないような身体の言葉によって繋がった感覚は、よっぽどの事がない限り、簡単には切れたりはったりする事はない気がするのも確かなことである。

日本にいながら見るニュースの中の異国としてのイランと、イランの内側にいながらにして見ているつもりで見られている異国人の、相互関係の繋がりの強度が、つつまれ方からして違ってくるのは火を見るよりも明らかであろう。



それにしても、どこの国にいて、どこの国の言葉を駆使していたとしても、今年に入ってからというもの、金融危機から目を背けるようしむけられたかのように矢継ぎ早に危機が続き、つつまれるどころか、思考停止を迫られるような事件が起こって行った。

ガザにイスラエルが攻め入り、ライフラインを断ち、追い討ちをかけるように、爆撃を繰り返し、一時休戦といいながら、ガザを攻撃している場面がネット上で映像とともに流れ走っていたのも、ほんの半年前の事であった。

それが、飛び火して、イランとイスラエル、あるいは亜米利加が戦争を起こすかもしれない危機を煽りながら、北朝鮮におけるミサイル発射騒動や核実験が、次々に起こっていくという流れ。

しまいには、ニュースで北朝鮮のスポークスマンと呼ばれるものが日本が標的等と云い出す始末であるから、世界の核を持っていたり、核を作ろうとしている国を支えている武器商人としての、国際金融資本は、まったくもって、狂っているとしか言いようがないと言える。

そういっている合間にも、亜米利加では着々とドルを刷り続け、その責任をとろうともせずに、踏み倒そうとしている現実がある。

つぶれそうだと言っては、救済措置と言って、金を刷り続け、鉄道を敷き、原発を作り、核兵器を持ち、その技術をちらつかせ、他の国に売りつけ、借金させながら、自分たちの国という殻を被った大きな借金という名の財産をそっくりそのまま別のところに保存したところを見計らっては、その借金はなかった事にして、踏みたおそうとしているのである。

詳しい企業の名前やそれを実行している人たちの名前は知らずとも、誰が見ても、全く馬鹿げた世の中であるのには、変わりはない。

テレビでは、外資系の生命保険がお得ですよと繰り言のように刷り込み続け、金を吸い取ろうとしているし、郵政民営化で赤字と言われているところのものは、普通の生命保険会社では、目をつぶって、運営に廻されて、どこに一体使われているのかさえ理解しかねるような類いのものであったり、どこかの弁護士事務所が、個人の借金を助けますと言う宣伝をしては、馬鹿みたいに高い借金を吹っかける方もどうかと思うが、それを借りる方にも問題はもちろんあるであろうが、それの踏み倒しを進め続ける弁護士が、まるで、亜米利加政府の、サブプライム、リーマンブラザーズ、GM破綻を踏み倒す事を奨励していることの、縮小版に見えてくるのである。

世界は実は、入れ子構造になっていて、小さな借金を踏み倒して、得をしたような気になっているうちに、あるいは、定額給付金をもらって何かに使った矢先に、消費税で一生涯絞られ続けようとしたり、もっと大きなところで、借金を踏み倒され続け、どこに行ったか分からなくなり、一部のもの達が潤い続けるような、あぶく銭が永遠に廻って行くような仕組みを作っているのが、金本位制を取っ払って、湯水のようにお金を刷り続ける事が、いかにも当然で、あたかも正義か、義務であるかのように見せかけ、宗教法人、財団法人、政治団体を作っては、お金を底に溜め込む仕組みになっている事に、だんだんと誰もが気づきはじめているのである。

何も知らないものとしての自分にも、蔦はいつの間にか伝わって来て、首をしめつけようとしているような息苦しさなのである。

おかしい。

この世界は、やはり何かおかしいと。


絶叫が、どこからともなく、聞こえて来るような。

それは、世界を、揺さぶり続けて、もうけをかすめ取ろうとしている金融危機といった一連の動きの渦に巻かれて底を見たような気がしたとたんに、目くらましをされるのに抗うよう、一気に吹き出して来た声のようにも思えるのである。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


イランでのロケ候補地の下見が済んで、大方の見通しが立ったところで、自分はあるひとつの覚悟を持つところとなった。

女子相撲の映画の中で、唐突にも、突拍子もないと言えるほどの設定で入り込んでくるイランでのシーンを撮るという事で、手探りなままイランロケのコーディネートをして、再度イランに撮影に行こうとしていた時、元新聞記者であった伊藤明彦さんが、原爆にあったときのことを聞いて廻ったCDを無料で配っておられるのを、どこかの新聞の片隅で見つけて、お手紙を差し上げたところ、直前に郵送で届けてくださった、その中の一枚を持って行ったのである。

ピカが落ちた時の、絶句したままの叫びにもならないような叫びをイランのどこかへ届けるつもりだったのである。

ピカが落ちて、学校に迷い込んだ時に、向こうから誰か知らない人がやってくるように見えた。
よく見ると、火傷のかたまりなのか肉なのかわからない自分が立っていたという女性の話。

あるいは、月見草が死者の山積みになった土饅頭の上にやけにつやつやと咲いていたのを見て、嫌いになったという女の人の話が、ぽつりぽつりと、何もないところから聞こえてくるにも関わらず、昔、聞いたあのアローホアキバルの絶叫の秋波と並走しているかのようであったのだ。

その爆弾の破壊力や、その波の激しさは比べようはないのであるが、叫びの秋波すらも一瞬にして吹き飛ばすものが、ピカ、原爆なのである。

そのCDをせめて日本語の分かるイランで通訳をしてくれた方に聞いてもらうように、最後に別れる間際に渡した。

爆弾でも散弾銃の弾でも、ましてや核でもなく、生の言葉を届けただけである。


もう、このような馬鹿げた事は、やめた方がいい。

武器商人達の核の駒になったりするゲームを投げ出し、まともな世界を作ろうとしないのは、なぜなのだろう。

死んでしまっては、ゲームも金も、なにもない。

気に入らなければ、気紛れに、からかうように、じわじわと、知らぬ間に忍び寄って、殺しにくるだけの世界に希望などはない。


もしもゲームではなく、ある種の絶望に限りなく近い希望のようなもの、生きとし生けるものの魂のようなものがあるとするならば、それは宗教の笠を着たり、ありもしない核の傘を見せつけるという類いのものではなく、「時代精神」のようなものとして、少しの間でも、垣間見れる事ができるような、そのゆくすえを見届け、見守りたいとも思えるようなものであると、蔓の先の先が掴もうとしているようなものを、密かに思っているのである。


(続く)
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by akikonoda | 2009-06-18 22:22

「時代精神」というもの




          「赤報隊」という記号の符合地点で




 歩いた記憶のない道を、ずっと歩いていた。
 歩道を行き交う人は疎らであったが、車だけはせわしなく車道を通り過ぎて行った。

 記憶があるはずもない道をしばらく歩いていると、前の方から中学生くらいの男の子達が、真新しい制服が肌になじむ間もなく、作られたときの形状の記憶そのままの、ある種の硬さとぎこちなさを体中から漂わせながら、ぞろぞろとつかず離れず歩いてきていた。

 彼らは、これから、この道を通って、これから始まっては終わって行く時と記憶を身体に染み込ませて行くのだろうと思うと、自分にとっては一度しか通らないかもしれないどこにでもあるようなこの道が、ある種の灰色がかった記憶装置のようにも思えてくるのであった。

 彼らが自分の横を通り過ぎようとしている時に、ふと目に飛び込んで来た立て看板があった。
 誰に知られたい訳でもなく、ただそこに立っているだけでも心細げで、無表情にせざるをえないような記憶の記号化に立ち止まるものは、その場にはいなかった。

 少なくとも自分を除いては。

 その看板を、何とはなしに読みはじめ目に飛び込んで来たのは、「赤報隊」という文字であった。

 それは、ここに誰かが来るのを待っていたような見えない手で仕掛けられたもの、見えない縄で手ぐすね引いて待っているもの、そこにいるのを悟られないような文字化けした擬態あるいは忘れ去られるのを待っている時効付きの罠のような「記号」として自分を捉えていつまでも放さない意味を持ったもののように、目の前にぶっきらぼうに現れて来たのであった。

 看板には、幕末から明治時代の尊王攘夷の流れとして生まれた「赤報隊」に所縁のある斉藤寛斎という人が、明治4年、この地に太子堂村郷学所を設置したという内容の事が書かれていた。

 主だった「赤報隊」の志士が「偽」官軍として処刑された後、この地に、寺子屋的なものを作ったという事は後に調べて知る所となったのだが、ここを偶然訪れる数日前に、NHK福岡放送局の玄関付近で卓上コンロのカセットボンベが爆破される事件が発生したばかりであったし、その後立て続けに、NHK放送センター(渋谷)や、長野、福岡、札幌のNHK各放送局に旧日本軍制式銃の三八式歩兵銃の実弾が、「赤報隊」の名のワープロ文とともに送付されたという事件もあったので、「赤報隊」というものが、ここで、時を越えて、人を越えて、場所を越えて重なって行ったような、不可思議な、もし言ってよければ、「時代精神」のようなものに出くわした気がして来たのであった。

 「赤報隊」という「記号」は、朝日新聞阪神支局襲撃事件において、使われたと言う、時効を迎えたばかりの事件を蒸し返し、亡くなった方達の無念を抉り出すような「言葉」であり、亜米利加レミントン製ピーターズの散弾銃が使われていた「殺人」を意味するものとして、頭にこびりついて、青ざめた記憶として、鬼の首をとってもとってもとれないようなものとして、引っ掛かっていたのであった。

 先日のNHKに送りつけられたものは旧日本軍のもので、朝日新聞阪神支局襲撃事件においては亜米利加レミントン製であったということは、何を意味するのか。仮に、同一人物同一組織の犯行であるならば、この銃弾の「違い」が、妙に引っ掛かったのであった。

 仮に、旧日本軍制式銃の三八式歩兵銃の実弾を持っている可能性のあるものとして考えて行くとすれば、戦争が終わって実質日本を占領したといえるGHQの流れを汲むもの、そういったものを保存できたであろうCIA等の他の国の諜報関係機関から自国の諜報機関、あるいはまったく知られていない個人的なもので、旧日本軍の武器が手に入る位置にあるもの等が浮かんでくると思われる。が、それにしても、わざわざ、この実弾を選んでいる意味とは、一体なんであろう。と。

 警察、公安あるいは被害を被った報道機関が、どこまで正確な情報を掴んで、流しているのかも把握できない状態なので何とも言えないと思われるが、そういった武器を手に入れられる場所にいるものの仕業であると言うことは、少なくとも言えるであろう。

 素人ではできない。

 時効成立後に、朝日新聞阪神支局襲撃事件の真犯人であると名乗り出たものが週刊新潮に亜米利加大使館の職員が関わっていたというような趣旨の事を語った後に、他の週刊誌に二転三転した言動をしたという事に関しても、未だにうやむやなままであるが、朝日新聞阪神支局襲撃事件を追った「赤報隊の正体」(一橋文哉 新潮文庫)を読んでみても、同じようにつかみ所のないものを感じていた。

 この本の著者が実行犯と目星を付けていた人物は既に亡くなっており、時効も成立したとはいえ実行犯の背後に見え隠れする大物右翼、同和、暴力団、今テレビにも頻繁に出るようになっている孫のいた政治家、あるいは宗教団体関係者へと広範囲にその食指を延ばし、出来る限りの取材を行って、そのやりとりと事実を積み重ねていた。
 
 ひとつだけ言えるとするならば、これらの事件には、その武器を調達できるかなり力を持ったものたちの動きを快く思わないものへの「威嚇」の意味が込められているという事であろう。

 等と、目の前にある太子堂村郷学所跡地の看板を見ながら、「赤報隊」という記号の符合地点に立っているつもりで、その実、何も見ていず、何も見えてもいない空虚なものを感じていた。

 が、しかし、「偽」官軍の汚名を着せられ、処刑されて行った「赤報隊」の生き残りの方が、貧しさに喘いでいた子ども達に、寺子屋のようなものを作ったと言うその場所に宿るものは、既に見当たらなかったとしても、近くにある学校へと様変わりして、その方に凝縮されたといえる「赤報隊」を形作っていった「時代精神」のようなものが、そこに確かにあったのだと語りかけているような気がしていた。

 ほんの通りすがりの自分のようなものにも、何とはなしに、後の世を引き継ぐもの達によって、都合よく、すり替えられて行くような、事実と時間と人の心のようなもののあやうさあるいは無念のようなものが、静かに、無表情に、しかし、内面を抉りちゅるちゅると吸い尽くすような根深さでもって、直接語られてくるような気がしていたのであった。



 気がつくと、中学生は誰もいなくなっていた。
 
 もしかして、彼らや彼らの通っている学校は、あの太子堂村郷学所を形作った「時代精神」のようなもののひとつの息吹、成れの果てかもしれない。
 等と漠然と思いめぐらしつつ、その場を後にした。


 誰を乗せているのかさえ見えない早さで車が看板の向こう側を、通り過ぎて行く音が、辛うじて時を押し流していくようであった。




(続く)
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by akikonoda | 2009-05-21 11:37 | 小説

「時代精神」というもの



                 道玄坂にて



 渋谷のハチ公前に立っていた。

 別に誰かを待っていた訳でも、銅像と化したハチ公のスナップ写真を是が非でも撮りたかった訳でもなく、三軒茶屋に行く為に渋谷で乗り換えようとしていただけなのであるが、ハチ公前に立つと、急に行けるところまで歩いてみたくなった。

 飼い主等いないし、いらないというような野良犬の行く宛等ない反・ハチ公的な野心というよりも、どちらかというと帰るところをよく知らない野良猫のようなたどたどしさでもって、歩いてみたくなったのである。
 
 そもそも、東京に来て、モノレールや電車を乗り継ぐだけで、あまり自分の足で道の上を歩いていないような気がしていたので、まだ時間もあることだし、三軒茶屋の方向を確認してから歩こうと、駅にある簡単な地図の方に近づいた。

 地図を見ると、「道玄坂」の先の方に三軒茶屋があるらしかったので、帰る場所はここには見あたらないかもしれないが、行く先はとりあえず分かっていたので、「道玄坂」を通ることにした。
 
 実のところ、「道玄坂」が渋谷近くにあるということすら、よく知らなかったのであるが、もしかして、時間があったら行けるかもしれないと、なんとなく夢想していたのであった。



 夢野久作が、関東大震災の後に東京を訪れた時にも、「道玄坂」界隈をうろついたと言うことを知っていたこともあった。

 彼もまた今の自分のように、福岡から出て来て東京をうろつき、どこか田舎の匂いの抜けない野良犬か野良猫の心持ちがしたのではないだろうか等と思いつつ、久作の物語に出てくる女詐欺師とうだつの上がらない新聞記者が、こたつに入り面と向かってなんとはなしに二人きりの密談を交わすような心持ちで、「道玄坂」を荷物についたころころを転がしながら、歩いていった。

 確か、その物語の中で、女は男に殺されたのだった。
 犬か猫の屍骸を紐にくくりつけるように、女の亡骸を使われていない井戸に吊したところで、物語は終わっていたのではなかったか。

 と思ったところで、何かの歯車が突如噛み合うような、犬が何かに噛み付いて、何かから得体の知れないような生温い血が吹き出すような、あるいは、いつか見た悪夢のように、何かの生け贄の儀式で首を掻き切られた、無表情な花首のような、下半身をどこかに忘れて来てしまい電灯の下の紐に吊るされた頭がじわじわとこちらに向き直るような、一種、青ざめた記憶が立ち上がってきたのであった。

 ころころと言うよりもガザガザと音を立てながら転がしていた小さな荷物に、まださほどではない坂の始まりの負荷が掛かりそうになった時、道の向こうに「109」が見えた。


 たぶん、「あの女(ひと)」も幾度となく、ここを見上げたのであろう。

 と昼間の「109」を言葉の侭に見上げながら、頭の角に押しやられたか、頭の後ろで、ガサガサと言うころころの残響をともなうような、昼間なのに夜道を歩いているようなカツカツと言うハイヒールの音がほんの少しずれながらもおずおずと遅れて後をついてきたような気がしたのであった。

 信号が、「それ」が追いついてくるのを待っていたように、赤から青に変わったので、そのまま向こう側に渡ることにした。

 たくさんの女の子達が出入りしていた。

 鈍い催眠をかけられるように中に入って行くと、思ったほど広くない店舗内に所狭しと女の子達が、エスカレーターを中心にぐるりと店舗が並んでいるその間を、原色を身に纏った瞬きしない大きな目を持つ熱帯魚か金魚か錦鯉のように、緩やかに獲物あるいはえさを探し速やかに駆け寄る動作を繰り返しながら、優雅に回遊しているかのようであった。

 たぶん、「あの女(ひと)」も幾度となく、ここに入り、身支度をして夜の街に繰り出していったのであろう。


 東京に来る前に、普段あまりつけない口紅をどうしても手に入れなくてはならないような気がしたのは、記憶のどこかに残っていた「道玄坂」にあるという地蔵のせいだったかもしれないと、漠然と記憶の糸をたぐり寄せながら考えていた。

 生暖かい水に潜り疲れて、首だけ上を出しながら、辛うじて空気を吸っているような、肺呼吸の心もとない「空洞」あるいは「浮き」が、内面に広がっていくような、窮屈さを覚えていた。

 そうして、美しく化粧じた弾けるような若さを滲ませた女の子とはどこかずれている、白塗りの、こすれた古畳の匂いのする空き部屋で息絶えた青い服を着た痩せた「あの女(ひと)」が、何かを待っているような気がしたのであった。

 「あの女」が「道玄坂」の地蔵の近くの空き室で亡くなってからというもの、頻繁にその女に何か思うところのある者達が、「道玄坂」にあるその地蔵を訪れるようになったと聴いてはいたのだが、渋谷にあるというところは、ざっくりと抜け落ちていて、今、ようやく首をもたげて記憶の糸先に浮かんで来たかのようであった。

 「道玄坂」の地蔵を訪れた女達は、その無表情な目をつむったままの地蔵に死化粧を施すように口紅を塗り、生きているようにも死んでいるようにも見える花首の束を置いていくのだと言う。

 又聞きの記憶というものは、特にそうかもしれないが、いつのまにか、自分が其処にあたかもいたような、疑似記憶を植え付けられ、「あの女」の思いや行為さえ、そっくり移植されているかのような、自分か他の誰かの見た奇妙な夢の続きをなぞっているような気さえしてきたのであった。

 「あの女」は、とある電力会社に勤めていたエリートと言われていた父親に習ってその後を追うように同じ職場で働くようになったと言う。

 その父親の存在をなくして一家の大黒柱として働くようになったのはいいが、その仕事の途中で、同僚に水をあけられて悩んでいた時と並行するように、身体を売るようになっていったのだと。

 
 あたかも、「道玄坂」の口紅のついた地蔵にすがりつくように、「道玄坂」に昔からあったという花街の化身のように、夜な夜なその辺りをうろつくようになったのだと。

 

 昔見たことのある、あの電灯に吊された花首のような夢は、この坂に唐突にもスイッチが入るように繋がりつつも、何かに光を頭の上から当てられ影が思いのほか強くてそこまで顏がよく見えないような気がしていた。

 

  夢をみた 花首ひとつ吊り下げたでんとうのひも はたじるしかな



 この歌は、あまりに奇妙だったので、日記に記憶のかけらとして残しておいたのだが、そのかけらのような夢において、首と身体を切り離し見せしめのように晒されながら、光を後頭部から浴びていたのが無性に気になっていたのであった。

 そうして、「それ」は、「道玄坂」をゆっくりと上り、途中で幾重にも塗られ濃い紅を差しているような血をにじませながら実のところ自分の唇から止めどもなく出る血を舐めているような地蔵様をお参りし、暗闇の中、かつかつとハイヒールを鳴らして下っていくはずであった、特別な異空間と時の隙間にまんまと入り込んで、この街の点いては消えていく夜の電灯の明るさに順応してきたかのように、記憶をなくした空部屋に、ゆらゆらと夢のように、ぽかりと浮かんできたのであった。


 あの夢の中の、身体のない目をつむったままの闇が向こうに透けて見えた「首」は、まさしく、「自分の顏」をしていたのであった。



 身体を売り物にするのと、記憶の集合体を売り物にすることは、血と体液の染みでる「生身」と、血も体液も通うことのない生首の影を引き摺るような「言葉」の違いがあるとは言え、身体の中や時の中に潜んでいる「それ」が、ひとときの「形」を得て、その「姿」を変え続けながら、「そこ」に確かにあったのだと証明するように、真昼の太陽が頭上に昇ってこの空間を照らしていた。

 しばらく歩きながら、電飾やロウソクの光はちりじりにかき消されてしまっているような、人影も疎らな「道玄坂」を上ったところに、ここいらに、昔、山賊が出たりしていたというようなことを書いた看板を見つけたが、真昼の太陽に隠されたかのように、とうとう、「道玄坂」の地蔵に出会うことはなく、坂道を下ったのであった。


 これがもし夜であったならと坂道を下りながら思った。

 夜になった渋谷を人が行き交い、お金で「物」を売り買いする「109」の電飾の塔をうろつきながら、人目を避けながらも、人に気付かれるか気付かれないかの気配を保ちつつ、見えない「結界」に踏み込むような夜の「道玄坂」を上って行く、自分の影が「そこ」に触れている気がしていた。

 その影は、地蔵の前に立ったままの「あの女」に呼び寄せられ、呼び止められるように、鼻の利く野良犬か勝手知った野良猫のように、夜道でも電飾に反射し赤錆た血の底が透けて見えてしまった目を光らせながら、「そこ」に辿り着いて、言葉にならなかったものの気配をどっぷりと感じながら、鼻と耳をやたらとひくひくさせていたのではなかったろうか。 

 そうして、女達が祈りを捧げるように固まったままの地蔵に染み込んでいった、女達の唇にも塗られていたであろう口紅だけが生気をもっていた血の証であるようにこびりつき、決して語ろうとしない頑で閉じられたままの口元を見つけて、夜の外灯の下、声亡き声を拾うのであった。

 事が済んだ後、痩せた身体からも時間からもひと時解放されたような面持ちの「あの女」の幻影とも実体とも言えるものに貫かれた、現実空間と夢空間の境界線の出入り口の途方もない穴蔵に迷い込んで死んでいく目も足も尻も頭もなくなった幾千万もの精子が、うっかり女の蔭に触れて喰われて溶け込んでしまったかのような、喰っているのか/喰われているのかさえ分からなくなるような生け贄の儀式のひとしきりを、赤い目の中にそうっと移し込んで、何喰わぬ顏をしながら「道玄坂」を下っていったのではなかったろうか。

 等と、何度も何度も思い続けながら。



(続く)
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by akikonoda | 2009-03-09 21:33 | 小説

「時代精神」というもの


 もしも「時代精神」というものがあるとするならば、「それ」はおそらく命や時間や身を削りながらも重ねていかれるもので、その中で時代との重なりを明確に認識できるものであると思っているが、誰にでも伝わりやすいようなひとつの「概念」として、今ここで「それ」を「時代精神」と名付けて置こうという試みには、少なからず理由がある。

 なぜ唐突にも、そのようなことを考えるようになったのかと言うと、ここ数年、自分の中で「時代精神」的なるものと出会う頻度が増していると思われるふしがあるからであるが、「それ」をできるだけ身近かに目にして感じ、そのままを書き記し、書き残す必要性を感じているからでもある。

 確かに、「それ」は他人からして見れば、意味の無いことであり、書き記したところで何になるかと言われる類いのものかもしれない。

 たまたま「それ」にであえたとして、「それ」に没頭して出来るだけ「それ」に集中したいという血湧き肉踊る欲求が起こるような、振り返り、先を考えることが出来るような、終わりのない再/構築を繰り返している過程に立っているという意識の土台のような「時代精神」というものを、認識できるかどうかで、今後の地球上の展開が変わってくるとさえ思っているので、認識しやすい形に「それ」に触れたと思われる現象の幾つかを、これから具体的な思考・行為を通して物語的なものとして、提示していこうと思っている。


 実のところ、今回の東京行きも「それ」に大いに関係しているのであるが、ガザの現状を見て来たシバレイさんの生の声や、千坂恭二さんと前田年昭さんのトークセッションを聞くことで、シバレイさんの「生」で見て聴いて感じたガザやイラクや、千坂さんが体験して来た戦後の革命的世代の総括のような、もっと言えば、明治維新までさかのぼるような、世界の中の日本における「世界革命戦争」論の中に、「時代精神」というものの萌芽が見えるような気がしていたのである。

 世界中の「戦争」、「闘争」あるいは「革命」のような、力と力のぶつかり合いが起こるところには、よかれあしかれ、その時代を映す鏡のような、芯のような、核のような「時代精神」というものが、裂け目のようなところから見つかると思っているので、ガザで今展開している国際「法」を平然と無視した金融資本の後ろ盾のある国家からそれの無い国への圧倒的な「暴力」をやめさせる為にも、その裂け目から、国家という枠に限らず世界中の人々がその力を合わせ今の時代を変えていく手だてとして暴力的にしろ非暴力的にしろこの時代に必要なあらゆる原因を重ねて反映し、うねりの核になるような「時代精神」のようなものを掴むことが出来ればと、自分なりに思い描いていたのである。


           
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                 写真美術館にて


 朝早く福岡を出発して、東京に着いたものの、シバレイさんのガザのレポートまでかなり時間があり、写真美術館にふらりと足を向けてみた時のことである。


 美術館の地下室では、カウボーイハットを被った男が火に当たりながら何かの気配を感じているような映像とともに背後から忍び寄る音が聞こえてくるような、何が起こっているのかよくわからないような状況を予めセットした不安感を醸し出す仕掛けのようなものがあったが、しばらく見ているうちに段々と何かに襲われてしまったような心もとなさを感じ、どこから現実でどこからが虚構が一瞬分からなくなって、思わず振り返ってしまうようなさしせまったものを感じ落ち着かなくなってきたので、そそくさと退場した。

 一昨晩、真夜中と朝方の二回消防車が駆けつけるような放火があったので、なかなか、寝付かれなくなり、寝不足がちであった自分に追い討ちをかけてくるような映像だったのである。

 なにせ、その放火現場の近所に住む友人などは、二、三件隣で起こったというので、老婆が助けを呼んでいたので火消しに躍起になっていたというから寝付けないどころの騒ぎではなかったし、眠気も火とともに消え去ったという。

 別の友人によると、今回の放火は缶を使ったものであり、驚くべきことに、この他にも三件の不審火が一晩のうちに同時多発テロ、あるいは時間差テロのように起こったと言うのであるから、芸術の世界の虚構の中だけでなく現実にもそのようにどこからともなく背後から声が聞こえてくるような、明らかに悪意と殺意を持った行為が潜んでいることを、敏感肌かアレルギー反応のように、うずうずと感じていたのであった。
 
 そうして、友人から、電話がかかって来た時のやりとりを、先ほどのカウボーイのでて来た映像のように、繰り返しながら、だんだんと細部を思い出してもいた。

 「ねえ、あきちゃん、聞こえた?昨日の放火事件の起こった夜の11時くらいに、鉄の棒を打ち付けるような音がずっとしとったの。私は、気になってしょうがなかったんやけど」

 「昨日の10時頃には爆睡しとったので、わからんかったけど、気味が悪いね」

 「そうなんよ、先週なんて、うちらの下の階のお家に、不審者の男の人が来て、配達物を装って部屋に分け入ろうとしたらしいから、うちらのマンションも放火犯に狙われてとるかもしれんよ」

 「まあ、我が家に入ったとしても、持っていくものがないから、お疲れ様としかいえんけど。火はやめてもらいたいね」


 その数日前に、福岡の某テレビ局に、爆発物を置いていったという男性と見られる画像が公開されていたが、その直後の放火事件であり、福岡だけでなく日本中でも、そのテレビ局の支局に、旧日本軍の鉄砲玉が送られて来て、「赤報隊」という文字が刻まれていた紙か袋か何かに判別できるように書かれていたというから、地域だけでなく国中にばらまかれつつある、きな臭いものを嫌がおうにも嗅ぎ付けてしまうのも致し方ないかもしれないが、そうこうしているうちに時々顔をこちらに剥き出しにしてくる、生物の中に潜んでいる本能のようなものが頭をもたげて、こちらの様子を伺っているようにも思えたのあった。

 そういえば、この写真美術館を訪れた時、地下鉄サリン事件が起こったことを思い出していた。

 子ども達が生まれる前のことであった。

 友人と街を歩いていた時に、偶然目に着いた古本屋のワゴンセールのような台の上に「太陽」という雑誌を見つけ、何となく開いて、手に入れたのであった。

 臨床心理学の権威が輪廻転生について語り、宗教学の権威が朗らかに松本死刑囚と対談している写真を掲載したものであった。

 あれは確か、連休の谷間であったように記憶しているが、あの時と同じような、きな臭さをどこかで感じている自分が、自分の中で、少しだけずれているような感覚が増していき、域を超えようとしているような胸騒ぎをどこかでなだめようと、階段の上から差す陽光を目指して重たい足を持ち上げるようにして上っていった。

 
 階段を上りきったところで、展示室に入ると、アンディ・ウォーホールの撮ったカメラテスト的なものが目に飛び込んで来た。

 ルー・リードの若い頃の映像や、岸田今日子さん等の映像であったが、入り口を振り返ると、スーザン・ソンタグの生前の画像が幾つも並んでおり、しばらく、その場に釘付けになって見ていた。
 他の人はせいぜい1〜3台のモニターに展示されていたが、ソンタグに限っては、モニターが横一列に7、8台分があてがわれ、尋常でない力の入れようなのであった。

 アンディはいないので、学芸員の人の中で、ソンタグびいきの人がいたのであろうか等と漠然と眺めているうちに、最初はソンタグという個人の名前しか浮かばなかったのが、左端の画像の中のソンタグに、まるで彫りたての白い顏の彫像か、熱から冷めて固まる一歩手前の蝋人形のような、ある種の硬い緊張感を見て取れるようになると、次に、右端まで幾つかあるモニター画像の中のソンタグの着ている洋服が変わっていないことに気づいた。

 そこから、この映像は、同じ日に撮られたであろうと予測できたが、その場で共有した時間だけでなく、それ以前/以後も、アンディとソンタグの間で行われていた/いくような関係性を予感させる意味での、「カメラテスト」という実験的な試みの意味が少しずつ見えて来たように思えた。

 ソンタグがアンディに限らず、他の人に対しても、多かれ少なかれ行っていたであろう、よそよそしさと親しさが同居していながら、緊張感をほぐしていく/いかないような表情や仕草は、カメラテストの段階における、物語がいつまでたっても始まらない「試し取り」のある種の気軽さとともに、演技するというよりも其処にいるだけでいいというような、その「存在」自体の「肯定感」、あるいは逃げ口上的な「別格・別物感」も含まれているようにも見受けられた。


 そういった一連のソンタグの、サングラスをとったりつけたりする動作、椅子に座って煙草を吸っている姿、目の前で歯を剥き出し笑っているような威嚇しているような行為を見ているうちに、つい最近ガザへの爆撃が日常化し休戦を一方的に宣言したり破棄したりを繰り返すものたちが授けるエルサレム賞を受賞した村上春樹氏の個人的な「卵」とシステム的な「壁」の比喩が頭に浮かび、その後、その政治的な意味合いがあからさまとも言える賞を受けた時に沈黙したり拒否したりするよりも話す事を選んだというソンタグのイスラエルのガザ攻撃に関する批判と、この賞をもらうのは文学者として名誉であるとも述べていた複雑な彼女の立ち位置を示しているようなスピーチが続けざまに固まりとなって押し寄せてきた。

 そうして、その時に、あたかも、言葉とイメージと時の重なりが自分の中で唐突に繋がっていき重層的な性質を持つ瞬間に「時代精神」的なるものが生まれるような、「それ」がソンタグの姿や言葉を通して立ち現れて来た場面に出くわしたような衝撃を感じたのであった。

 





  
 (続く)
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by akikonoda | 2009-03-02 10:10 | 小説