タグ:映画 ( 4 ) タグの人気記事

「すとれいどっぐす いえなきこどもたち」マルズィエ メシュキニ監督

映画 すとれいどっぐす 家なき子どもたち を見る


アフガニスタンに降っていた

ソ連侵攻の時から始まった爆弾と侵攻の炎

天使は地獄の穴で罪人を火に焼くと誰かが言っていた

穴の中 どこかの外国人の飼っていたのであろう

ちいさな犬が逃げおくれたのか

ほこりまみれで吠えている

その穴に松明を掲げて 

父を殺した外国人の犬 爆弾を落とした外国人の犬

と口々に叫びながら

松明を投げ入れるこどもたち

兄と妹は横穴からその犬を助ける

刑務所に入っているタリバンの父

その父の留守の間に再婚していたとして訴えられて刑務所に入っている母

看守の情けで母の牢獄に夜の囚人として犬を連れて帰っていく兄妹

犬と妹は紐で繋がれた同類のようにとぼとぼあるく

ごみをひろって とぼとぼあるく


 そらには 偵察機か爆撃機が飛び回っている


木をひろって ナンやキャバブ屋に売りにいき 生きながらえる

だれもせわしようとしない

犬のように 追い払われ

犬のように 盗んで逃げた

肉屋で 牛の首を盗んでいぬに食べさせようとするがちいさな犬は食べようとしない

あふがんはうんずたちが闘っている

次々と起こる闘いに人々は熱狂している

犬は腹ごしらえのように牛の首を食い散らかす

骨だけになった牛の首を持って

兄は大人たちにお金をせがむが

犬のように杖で打ち据えられる
 
誰も止めようとしない 誰も見ようとしない

あふがんはうんずの闘いに熱狂している ひとひとひと


 そらには 偵察機か爆撃機が飛び回っている


野宿よりましだから牢獄に入る為に兄は自転車を泥棒する

大人は自転車だったらすぐ捕まえた

妹はどこにいった

犬はどこにもいなかった 
[PR]
by akikonoda | 2010-11-02 22:27 | 記憶

あいのむきだし

映画「愛のむきだし」を見た。

DVD上下巻に別れるほど長い物語だったが、凝縮され、濃厚な時間がゆらゆらと流れて行った。

0教団というのは、昨今の日本人に植え込まれているカルト宗教的集団の原型を指し示し、仏教や基督教等のカテゴリーには収まりきれない、「ある目的」を持った集団である。

陰謀渦巻くというよりも、あるカルト的集団に属しているが、それはカルト的宗教集団と言わなければ、どこにでもありえるが、むりもずいぶんありそうな生活の場であるとともに会社でもあり、囲い込まれた空洞のような空間を確保している。

人を外部から内部に引き込み利己的とも見れる自己を増殖し巨大化させながら、その姿を最初からさらす事なく、じわじわと外部に働きかけていく。

では、「ある目的」とは具体的には何なのか。

それは、よかれあしかれ、その組織の内部にとっては自分たちの信念に乗っ取って生きて行く事であろうと思われるが、外部にはその姿の実態があかされず、どこかの自己啓発セミナーのような芝居がかった関係によって、善きもの、悪きものが、極端に血なまぐさくもあるものが、作り上げられていく過程においても、その欲望は見えにくく、どこかそらぞらしい空洞にうつる。


その芝居がかった役割分担の関係性の中で、嘘くさそうで嘘でもないものが、愛をむきだした女であり、男であり、家族であり。

それは、以前見た「ふぬけども 哀しみの愛を見せろ」にも流れていた、グロテスクな家族や村社会のような閉じられたもののなかでどうしても起こりくる怨念のようなものに、蓋をするなどありえないというようなあっけらかんとした、ぺろんとしたをだされたようなむきだしさ、野獣性であり。



空洞 と 美しい がまたいい感じのえすぷり。



なぜ今頃なのかと言えば、レンタルで、しゅうかい遅れ、おくれてやってきたのを見ているからであるが。

旬のものをじっくり待ちわびてここ迄待ったと言う、寸止めの極意のような、生殺しのような、熟成されて行くような感じが、またよろし。
[PR]
by akikonoda | 2009-11-26 22:00 | 記憶

映画「靖国」を見て思った事


昨日、「靖国」を見た。

図書館に行き、プラネタリムを見た後、公園でのんびりしていたら、日本の旗を肩にはりつけた人が家族連れでのんびりしていた。
白髪まじりのおとうさんの日本の旗が、なぜか気になっていた。

かき氷を食べた後、草花の生い茂った長浜公園の滑り台をすべって、親富孝通りに出て、ぶらりとしていたら、シネテリエがあった。

昔はよく見に行っていたがと思い、何気なく何をやっているのか覗いたら、あの「靖国」をやっていた。

もしかして、あの日本の国旗を肩に張っていたおとうさんは、この映画を見に来ていたのか。等と考えながら、あとすこしで上映時間となっていたので、こども連れでも見れるのかは定かではなかったが(長さも内容も困難かもしれないので)、こども達も何か解らないが見てみたいというので、そのまま傾れ込んだ。

こどもさん(の料金)は、今日は良いですよ。

とカウンターの男性に言われた。

礼を言って、一番前の席が空いていたので、そこのすみに座った。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


映画では、「靖国」神社で祈るとはどういうことか。

を、舞台を見るように、次々と、見せつけられた。

日本の旗を持って、行進する人にも、色々な方がおられた。

戦争を体験した世代の方々は、戦争で亡くなった方に向かって、ラッパを鳴らしながら行進し、指揮の声をかける。

昔の侭のいでたちで、昔を思い出し、時間を経てまでも、身に染みついてしまったものを、再現しているように。

食事のラッパが一番の楽しみであったという、ラッパ隊の方がならした食事を知らせるラッパの音が、意外にも、太田胃酸(だったか?)のコマーシャルの、

ぱあっぱか ぱあっぱあ
ぱあっぱか ぱあっぱあ
ぱあぱ ぱあぱあ ぱあ〜

であったのに、かなり衝撃を受けた。

あのコマーシャルに、複雑な意味が込められていたかもしれない等と考えた事も無かったからである。

コマーシャルを作る側と受け取る側の微妙な体験や思いに根ざされたものを、知ってか知らずか判断しかねるが、もし、知って作られたものであるとしたら、望めば胃がいたいほど食べられる時代にはなったが、胃が痛む事も増えた時代に、戦争中のひと時でも食事の時に解放されたであろうあらゆることを、戦争を体験した軍隊のものには連想させていたのかもしれないと思うと、あのラッパの音色が、すくなくとも、自分のでは変わってしまったのであった。

また、印象に残った場面として、菅原龍憲氏の自宅の、お父上の軍服姿の写真を掲げた仏間でのやりとりがあった。

以下、靖国のパンフレット11P参照〜

浄土真宗の僧侶として、また遺族の一人として合祀取り下げを求めて来た真宗遺族会事務局長の菅原龍憲氏は、同じく僧侶だった父親を太平洋戦争で失った。命の尊厳を説くべき宗教者が戦争に行ったという事実を忘れない為には、菅原は寺の仏間に軍服姿の父の写真を飾っている。その父に対し、昭和42年、日本政府から勲章が贈られた。

「(遺族は)大変理不尽な死を余儀なくされたわけです。国策によって駆り出されたわけだから、その怒りや恨みや悲しみを国にぶつけたいですよね。だけど国の方は勲章を与えて褒め称え、名誉の戦死だと言う。まさに遺族の思いは居場所を失うわけですね。(勲章授与には)そういう倒錯した構図があると思います。つまり、国の戦争責任は問われないかたちで、遺族たちに文句を言わせないという機能を果たしていると思います」〜



以前、何かで、戦争において、失業者はいない。皆、国の為と言う大義名分によって、働かされる。

と言うことを、聞いた事があった。なんとか食事にありつける軍隊のものにとって、食事と言う「現物支給」であったと言えるかもしれないが、その刷り込まれた音はいつまでも記憶を持つものの中で消えずに、いつでも、開かれてはひっくり返されるおるごおるのように思えて、複雑な思いが散らばっていった。



様々な人々が様々な立場で祈りに来ている一方で、かつての帝国軍事勢力に振り回され、押し付けられた合祀に対して抗議に来られた台湾の方や、イラク派兵反対の日本の若者等、「靖国」を舞台とした8月15日、終戦、敗戦の日が描かれていく中で、映画の中で、背骨のように描かれていくのが、靖国刀を作り上げていく一人の刀匠、刈谷直治氏の日常であった。

明治維新あたりからむくむくと西洋的社会性や軍事力の近代化の影で鈍く光っていたのが、「靖国刀」であったとこの映画を作った方々は捉えていたようであった。

以下抜粋〜

昭和8年から終戦までの12年の間、靖国刀と呼ばれる8100振の軍刀が靖国神社の境内において作られた。明治2年に設立された靖国神社は、天皇のための聖戦で亡くなった軍人を護国の神<英霊>として祀り続けている。246万千余の軍人の魂が移された一振の刀が靖国神社の御神体である。〜



筆者もその一人であるが、靖国刀の存在をあまり認識していない人もいるであろう昨今の日本の状況を、見えないように、見ないようにしているような、忘れられている空気のようなものを切りとられたような気もした。

靖国刀は、戦後、GHQに作る事を禁止されていたと言う事も知らなかったのであるが、その複雑な刀事情とともに、剣道をした事があるものとして、複雑さもましているように思えた。

キリスト教にも影響を少なからず受けている新渡戸稲造の書いた「武士道」において、異様なまでの熱を感じていた「切腹」であったが、刀つまり「真剣」に込められたものが、内に向くと切腹という自害となり、外に向くと戦場という自/加害になるという違いはあるにしろ、明治維新以降に作られ始めたという靖国刀には、その鋼に何度も打ち付けられた金槌のような念が漂っている様に思え、身震いを禁じ得なかった。

こどもも見終わって、まっさきに靖国刀について話していた。

でも、なんで、刀なんやろうね。

と、しきりと首を傾げていた。

彼らは、剣道をしているので、映画の中で、剣道の練習のようなものの映像とともに、真剣を持ったものが、人を今まさに切ろうとしている画像が何度も出て来たのが、気になっていたのであろう。

映画の中で、百人切りについても触れていたので、その裁判等とともに南京の虐殺の場面が頭をよぎった。

また、映画「蟻の兵隊」においての置き去りにされた日本兵の方の証言も、思い出していた。

戦争中に、真剣で殺されていった人もいたであろうと予想されるので、そこを通り越していく事は出来ないとも思われた。


剣道や武術、武道は、もともとそういう「戦い」からはじまって、今の形に収まっていったということを、こどもなりに、どこかで、感じているようではあった。


自分が高校生の時に習った剣道は、竹刀を振るのみで、刀、真剣等触った事も無いのだが、見えないものに向き合うような「黙想」が、始まりと終わりにあった。

先生に、自分と向きあうというよりも、無になれ、何も考えるなと言うような事を言われたものであるが、いまだに、「無」になることがどういう事が解っておらず、新渡戸の言うところの武士道にも、ほど遠いところにいるが、「黙想」の時に、そこはかとした「武士道」というようなものを、沈黙の中において、何も動かないその中において、うっすらとであるが、捉え、感じていたように思う。

自分が解らないなりに思う、武士道というものがあるとするならば、「無」に限りなく近いものであって、あからさまに叫ばれるものとは、ほど遠いところにある類いのものであるのではないかと思っていたのである。

そもそも刀に触ったこともないので、そこにに込められたものを感じ、知る由もなかったと言えるし、武士道を引き継いでいるとは到底言えない現状であるが、明治以後に出来たと言う、靖国神社の歴史的背景を見て、天皇の支配する、その昔から権力の象徴でもあった「鏡」が、武士の支配する時代の象徴であった「刀」となり、士農工商えた非人という身分制度をしいていた武家社会から、明治維新によって、刀の所持を許されていた武士ですら禁止されつつあったものを、ある意味、軍事政府と天皇の合体の象徴として、権力の象徴として靖国刀が作られていった背景は、日本人として、凶器、あるいは狂気となる事も含めて、少なくとも知っていた方がいいと思われた。
[PR]
by akikonoda | 2008-07-13 11:26 | 記憶

映画「ザザンボ」を見て

渡辺文樹監督の「ザザンボ」を見た。

これは、最近見たもので、一番と言っていいほどの、映画だった。

ちょっと、風邪ぎみのため体調は芳しくないが、見に行ってよかったと思う。

鬱々とした村社会の、隠されてしまったたものが土葬された墓を掘り起こされ、本当のことが明るみに出た後に、火がはなたれる。

何もかも焼き尽くす炎を追っている、その淡々とした目線は、生者のものというよりも、自分には、どこか、既に向こうに渡ってしまったものの目線のような気がしてならなかった。

その陰鬱を帯びたものは、かつての日本が、もっており、今も密かに受け継がれている、鬱々とした燃え盛る炎影のようであり、御影のようであった。
[PR]
by akikonoda | 2007-11-05 13:07