筌の口温泉に無性に行きたくなる時がある。
今年はまだ行ってない。 九重の山登りの後に、筌の口温泉に入ると言うのもいい。 紅葉もちらほらし出した頃に、子供達を連れて山歩きしながらぼちぼち行ってみようと思う。 肌寒くなってきたせいもあるが、身体があの鈍色の湯にどっぷり浸かりたいと欲するのである。 そこの見えないくらい濁った湯には、山奥の秘めやかな匂いが残っている様な、誰にも邪魔されず、くねくね、ぬくぬくと、土くれの中で育って、いままさに、ぐつぐつ煮られている自然薯みたいな心持ちになれたりする。 深々と冷えた身体に行き渡る熱めのお湯に浸かって目を閉じていると、隣で、地元の年配の方が、旅の途中に立ち寄ったのであろうこれまた年配の人に話しかけているのが聞こえてきた。 どこからきたんですかあ? 関東の方からです。 それはそれは、遠くから。ここは、山里の奥にある温泉だけど、昔から、知ってる人はふらっとやって来るんですよお。 と、ちょっとぎこちない標準語で、話している。 そうそう、むかあしは、川端康成もやってきてたんですよ。 そうだったのか。全然知らなかった。 たまたま偶然、やって来ていたのかもしれないが、こんな、坂道の急な、川のすぐ側にある鄙びた小さな温泉にやって来ていたのは、なんとなく意外であったし、それを、その場で聞いたことが、意外であった。 ここにきて同じような思いをしていたかも知れないと思うと時間を越えて生身の川端に出会えたような、 目の前で、ぷはあ〜。 などと言って、首までお湯に浸かっている川端が、そこにいるような。 見えそうで見えない湯気の向こうにいるような。 なにか、川端のなまの秘密に立ち合ったような。 なんだか、気恥ずかしくもなってきた。 川端が、間違えるか、故意にでなければ、もちろん、男湯に入っていたであろうし、すでにこの世にはいないので、そこに居るはずも無いのだが。 温泉を出ると、やっぱり急な坂道だった。 待っていた連れ合いが、くしゃみをしながら、話し出した。 なんだか、「いーじーらいだー」になった気分やった。 みんな知っている中に一人違うって言うのは。 おじいちゃん達の中に、連れ合いが、のそのそ入っていったのなら、たぶん、そんな感じだろう。 妙に浮きながら、もそもそ身体を洗っていたのだろう。 我々は、その後、宿には泊らず、野営をし、野宿した。 大地のごつごつした肌を直に感じて眠ることが、ひんやり冷たい感触がたまに思い出される。 その時は、さらにすさまじい風が、ごうごう言いながら、小さなテントを吹き飛ばしそうな勢いであったのだが。 風を読め。風を。 と言う感じだが、山は気まぐれなので。 それでも、星さえまともに見れない横殴りの風を子守歌に、いつのまにか眠っていた。
by akikonoda
| 2006-10-29 18:12
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