胸が痛くなった。
戦争で、片腕を無くした女の子を取材されている高橋邦典さんのレポートを見せていただいてである。
援助する/される側のジレンマを感じた。
日本にいると、人事のようになってしまう現実はあるのだが、こことは違う場所で起っていることを、どうしても思ってしまうのは、一度でも、そこの現実を見てしまった者のジレンマともいえる。
離れたものを繋ぐ時、そこにどうしてもギャップが起る。
そのギャップを、どのようにしたらいいのか、途方に暮れて、その方法を未だに探しているのだが、やはり、自分にはそのかけ離れた溝は、笑いだけでは埋まりそうもないというのが、正直なところだ。
イランのアフマデネジャド大統領も、一般市民とはかけ離れたところで、核開発を叫んでいる。
日本のメディアは米国や西洋世界と言われる処から流されたものに触れる機会が(それもお上からのものが)多いので、随分と奇異に映るのだが、イランでは、ああいった場面は非常に冷めて見られているので、その温度差は、実際に見たものでしか、感じられないものである。
日本の政治家を、冷めた目で見ているのと同じなのである。
イランの宗教家に対しても然りである。
彼らは、クラーンは信じているかも知れないが、利益を貪ろうとする人達や、何か胡散臭いと思うものは、ちゃんと分っているのである。
テレビのニュースに煽られる前に、やはり、現実は自分で見たり、少なくとも、自分の目で見て感じたことを伝えようとする信頼できる人の目を通した方がいいと思う所以である。