お節料理を頂いた。
連れ合いの実家で、義父が振る舞ってくれたのだ。
器用な方で、こぶ巻き、黒豆、がめに、田作り、海老、焼き物、数の子、つくね、栗きんとん、卵を使った料理も多々あり。
にぎりもご自分で握る。酢で締めた鯛の握りは絶品であった。
出汁巻きは車輪の溝のような凸凹をつけて子供達の口の中に次々と入っていった。なかでも、淡雪のような白と目の覚めるような黄のコントラストを醸し出した裏ごしされた和菓子のような卵料理の繊細さと素材の生かし方には感服した。
一つの卵が、それぞれ全く違うものになっていく過程は、まったくもって興味深いことである。
その技の裏に隠されているものは「裏ごし」である。
きめ細やかな、手作業の繰り返しを必要とする正月料理に、三日をつぎ込んだという。
そういう心をもってのもてなしに感謝しつつ、その技が、年々、磨かれていく様を見て、やはり、何事にも終わりはないことを思う。
振り返って自分も、素材はいつも使っている普通のものも多い中、心一つで変わってしまう妙を感じ、やはり、手間暇をかけ、裏ごしの技に磨きをかけることも必要であると、初春の真昼に渋茶を啜りながら思った。
ということで、今朝の雑煮は、あごだしで。
朝は、汁ものが目覚めによろし。