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17歳のための世界と日本の見方(松岡正剛 春秋社)を読んで


 一昨日、読んだのであるが、最近、自分が諸々考えていたことの先を行く深く広い内容で、また、17歳からやり直す気になり。

 アーリア人について書いてある部分で、少し思ったこと。

 イラン人は自分たちをアーリア系として、白い人であることに誇りを持っていると、ちょっと前に読んでいた「イスラーム民族史」でも指摘されていたのを思い出したのであるが、それは、言ってみれば、イランの人達が、クレオール的国民性を持ちうるということでもあると、思ったのである。

 歴史の流れにおいて、当然、交じりあいはあらゆるところで起りつつ、広まっていったに違いないのだが、イランは、とりわけ、その重なり具合の微妙なバランスで出来上がっていったのだと。

 大きくわけて、アラブ系の言葉のイラクと、アーリア系のイランで、前者はスンニ派、後者はシーア派ということは一般に知られているが、その点においても、微妙な系統の違いによって、同じイスラム教であるに関わらず、微妙に枝分かれしたもの(シーア)の方を選びとる土壌が出来上がる傾向があると、再確認したような気がしたのだ。

 思想、あるいは宗教は、その土地で、生れる果物のようなものであるとすれば。

 生ものでなくなってしまうか、腐ってしまうのということは、仕方がないかも知れないが、その核(兵器じゃない方)の部分を受け継げるかどうかで、世の中は変わっていくに違いないとも思った。

相当な、時間と労力がいるのは覚悟しないといけないが、おもしろきことでもある。

 日本の思想も、また、かくのごとしあれば、うれしきことなり。
by akikonoda | 2007-01-30 13:24
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