五島は、目の前に、うつぶせたままの肢体をさらしているご婦人の、政治家である夫の事を少なからず知っていた。 なぜかと言えば、五島は、まだ学生の頃、友人であった琴代が、選挙の時に、たびたびウグイス嬢のアルバイトをしていて、何かとその政治家の話を聞かされていたからであった。 ウグイスというよりも、かなりえぐみの残った堅苦しい青い実か、辛辣な言葉で、腐りかけた木の幹をえぐり出す啄木鳥のような女であった。 琴代とは、ずいぶん前に、会ったきりであったが、このご婦人を目の前にして、まぐさの煙を嗅いでいるうちに、急に、あの当時のことが、火にあぶり出されるように、次々と、駆け出して来たようであった。 琴代は、思ったままを口にするだけなので、後腐れと言うものは無いに等しく、ただ、灰になって、土に帰っていくだけの、まぐさか竹炭のようであった。 最初は煙たいだけだが、それをしばらく我慢していると、勝手に灰になって、澱んだ空気や身体を少しだけ軽くしてくれる。と言えなくもない。 時と場合にも寄るが。 「政治家の奥方と言っても、ただ、選挙の時に、住民の前や達磨の前で万歳をするか、うなだれるかする、連れ合いの側で、頭を下げたり、拍手したり、微笑んでいたりするだけでなくてね。魚市場の社長に会ったり、亜米利加に渡り、大リーガーになった野球選手に旦那の権力を傘に、地元のちびっこのボールにサインしてもらうように口利きをしたり、旦那の下半身のスキャンダルにも、何事も無いように、振る舞うとか、割と時間的にも、内面的に自分のプライベートとはかけ離れた過酷なことが山ほどあるから、大変だよね」 「ああ、そうなんだ。俺のおふくろも似たようなものだがね。特に、下半身問題に関しては。親父は、以前、泡を吹いて倒れて入院した時に知り合った看護士の女とねんごろになってね。今一緒に暮らしてるんだけどさ。下半身じゃなくて、右半身が思うように動かなくなったってのに、よく、付き合うよなっておふくろに言ったら、おふくろが哭くんだよね。なんかに憑かれたみたいにさ。身体を揺すぶりながらさ。なんか、俺どうしたら良いか分かんなくて。ただ、哭くのを見てるしかなくてさ。女って、だから、なんとなく怖い。お前みたいに、何でも、まくしたてるのも怖いけどさ」 親父が、倒れて、その女のところに行ってしまって、それから、しばらくして、五島は家を出た。 母親と一緒にいることに、耐えられなくなったのだ。 哭いてすがるとか言うのではない。 日々の仕事を、ただ、黙々とやり過ごしているだけなのだ。 そうして、時々、その場に、ただ独りしかいないように、思い出したように、壊れたように、哭いているのである。 それを見ている五島も、壊れそうになったのである。 それで、独りで家を出る事にしたのである。 仮に、五島自身が残ったとしても、母親は、多分、独りのままなのであった。 今も、時々、哭いているのを、ただ遠くから、電話で聞く事しか出来ないのであった。
by akikonoda
| 2007-10-17 13:46
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