森山大道写真展に、振替休日の息子と一緒に行って来た。
息子は、女人の足が網の目に囚われている写真にぐっと見入っていたが、そのクローズアップからくる物体的な肉々しさは、白黒と言うのもあるが、どこか乾いていた。
エロス、生、というよりも、白黒のリボンで飾られた写真に収めた死んでしまった生前の「肉」を弔っているようであった。
白目を剥いた子供の写真にも、同類と言う事で、やはり、何かしら、反応していた。
か細くない、ぼってりした子供の威圧感が、白目を剥く事で、コケティッシュに写り込んでいるような。
被写体とカメラの目が、一瞬で力関係が決まってしまうような、野生に近い動物とにらめっこをしているような。
色々な、その表情に至るまでのやりとりを妄想させた。
ずいぶん前に、鳥取か広島?の美術館で見かけたものがほとんどであったが、狭いところに、押し込められて、すこし、もったいない気もした。
「記録」を、セルフィッシュに続けると言うことだったが、今後も、妄想が尽きないような「記録」が出来ることを願う。