戦争と女優たち


アジアフォーカス映画講座に行って来た。

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映画に関わらず、色々、興味あり、魅かれる事が山積みされて、どれもに参加していけたら幸せなのであるが、金銭的な問題と体力・身体的な問題と家庭の事情などで、いたしかたないこともあり。

楽しみにしていた紫川の劇場も、たくさんの勉強ができるものと指折り数えていたが、上記の諸々により、残念無念と相成り候。

今更、焦る事も無いのだが、空しくもあり、どこかがなにかが乾いて候。

姪っ子達が参加させていただいているので、それは、ありがたくもあり、うれしくもあり。

いつかその時がくれば、拝聴・拝見・参加する機会もあるだろうと、その時を、楽しみにすることにして、目の前の今行ける出来るところに、行くことにして。

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梁木靖弘氏が語る戦争と女優たちは、言ってみれば、何かに引き裂かれた女達でもあった。

李香蘭しかり、カルメン・ミランダしかり、ジョゼフィン・ベイカーしかり。

生まれた日本と移住し育ち女優として華開いた中国を持つ李香蘭。
生まれたポルトガルと移住し育ったブラジルと女優として華開いた亜米利加を持つカルメン・ミランダ。
生まれた亜米利加と女優として華開いた仏蘭西を持つジョゼフィン・ベイカー。

戦争によるあからさまであったり、控えめであったりするプロパガンダの為の映像の中で、彼女達は束の間生かされていたこと。

カルメン・ミランダは、自分で考案したバナナの帽子をかぶり、亜米利加の影の存在とも言えるブラジルとの友好の演出に一役買って、テレビ出演の後、心臓マヒで死んでいき、

ジョゼフィン・ベイカーは、生粋のアフリカ系アメリカ人でありながら、野生と文明と言うありもしない幻想の演出に一役買ってバナナのスカートをはいて踊ったりしながら、舞台に生きながら死んでいく。

李香蘭(日本名;山口淑子)は、中国・満州と日本の架け橋となるような満映のニューウェーブとして。

彼女達は、戦争に潜んだ暴力性を緩和するあるいは、ある意味、目をそらさせる道具として、戦況が過酷になるのと並行して、次第に認知度を増していくことになる。

戦争中に満映で女優として育った李香蘭は、後にイサムノグチと結婚したり、パレスチナ問題や慰安婦問題などに取り組むこととなる。

梁木靖弘氏によると、満映つながりで、満映所属の監督の佐々木康、おなじく満映の音楽担当の万城目正、(たぶん満映とは関係なかったであろう?)作詞の担当のサトウハチローの「リンゴの歌」を歌った、戦後初めての映画「そよかぜ」に出演した並木路子は、李香蘭の後がま的存在であったと見なしていた。

ここで、戦争と女優と言うカテゴリーの中において、バナナとリンゴの方向性を垣間見ることとなる。

ユング的に言うなら、バナナ的「南」を演出する外向性と、リンゴ的「北」にあくがれる内向性を、感じずにはおれないと言う事であった。


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戦争と言うカテゴリーや女優というカテゴリーをとっぱらってしても、果実の後味や手触りは残るということでもあろうが。


人間は、多かれ少なかれ、透明な薄皮一枚で世界とふれあったり、いつの間にか、脱皮しているものなのかもしれないが。

彼女達は、国に限らず名前を幾つか持っていると言う点において、名前を介して薄皮一枚で、世界とかろうじて繋がりながら、アクロバテックな綱渡りを繰り返し、脱皮しつづけていたといえるかもしれない。


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お話を聞いているうちに、戦争に関する話にとりくむ術が見えて来た気がする。

戦争の内面、外面、多面性、重層性。

情報だけではなく物語ることで立ち上がるものとはなにか。

まだ、見えない。
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by akikonoda | 2008-05-14 09:51
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