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復活 と いなか、の、じけん と 民話


最近、行き当たるところに、なぜか民話的なものがあった。

そういった事を、求めているからもあるが、細やかなところに宿っている事をおろそかにすることで見失っているものを取り戻したいということが、そこにあるのかもしれない。

トルストイの「復活」と夢野久作のもろもろの全集を最近読み込んでいるが、トルストイが長々と特権社会から変容しつつある時代にもまれながら長編等を書き続けてたどり着いたのが、彼にとって無駄な装飾であったことどもを削ぎ落としていったという「民話」であったという点において、「民話」的凝縮性を持って、語ることに、血水を注ぐ事の意味を考える上で、大きな軌跡と言えた。

夢野久作においても、「いなか、の、じけん」など、新聞記者としてのネタ的記事に働かせていたであろう嗅覚でもって、ざらざらと書いているが、ある意味、今、そこで生まれた「民話」の種を探していたようにも感じられ興味深かった。

久作の場合は、そこから、十年もの歳月をかけて、何度も何度も書き直して「ドグラマグラ」に結集されていったが、「民話」的時事・事象から始まった、彼自身による彼の為の奇蹟と言えよう。
by akikonoda | 2008-07-10 08:06
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