京都滞在中に、三十三間堂に行った。
黄金の千手観音像の合間に、幾つか空いた場所があった。
よく見ると、補修中ということが書かれていたが、今日、たまたま、故西村公朝という彫刻家がその補修に関わっておられたと言うお話を映像で拝見した後だったので、尚更、印象深く感じられた。
西村さんは、元々彫刻家であったが、あるとき、三十三間堂の千手観音の修理に関わることになったものの、自分には向かないと思い始めていたところに、戦争に駆り出されることとなった。
昭和17年に中国に出兵した時に、夜、南方に歩きながら!?夢を見たという。
観音さんや薬師さんが夢に出て来て、ばらばらになって傾いていたので、修理してほしいのか尋ねたところ、そのようなそぶりを見せたところで目が覚めたと。
何人も死んでいく人を見て、そういった夢を見て、供養の意味も込めて、腹をくくって、三十三間堂の千手観音の修理に没頭していくようになったという。
先日、拝見したもののなかに、その修復された指先やお顔があると思うと、なんだか、西田幾多郎のいうところの、つくられたものがつくったものを、また、つくっていくという、言葉が目の前を過ったような気がしてきた。
時は重なって、交叉して、見えない糸に束ねられていくような感覚とでもいおうか。
何も見えている訳ではないけれど、その場にいる(いた)ことで、何かが見えてくるような、何かが繋がったような気がして、不可思議な妙を感じた。