田舎の青年であった、まもっちゃんの指がなくなったのは、農作業のときだと言う。 脱穀機の稲とともに、ささくれだったまもっちゃんの指は手の先から逃げ出したのだ。 親指と人差し指が無くなってしまったまもっちゃんの手は、小学校にあがったばかりの小さなかおるの手とおんなじ大きさのようにも見えたが、よく見ると指の付け根をずっと握りしめているままのような肉のかたまりが、裂け目を隠す事なくこちらを見ているようでもあった。 まもっちゃんには、彼女がいた。 髪の毛を外側にふうわりとまき上げ流していたかよちゃんという名の人らしいが、指が無くなってから、まもっちゃんは、まだ会っていないと言う。 「だってさ、まだ、包帯もとれてないし」 といいながら、目を落ち着きなく虚と虚ととさせながら、もう、はずしてもいいと言われていた包帯を巻き付けたまま、無くなった親指と人差し指をいつまでも手探りをしているように、もう一方の手でさすりまわすのであった。 かおるは、お見舞いに来ていた家族が寒くなってきた部屋の真ん中にあるこたつに入りきれないほどの足が入っていたので、そこにいづらくなって、まもっちゃんの部屋の近くの便所に行った。 青と黒と白の小石のような不規則な形のタイルが敷き詰められている便所は、底をなくした汲取式であったが、寒々しいキンカクシの形をした、窒息しそうなオマルに蓋をしてとどめを刺すような、いびつで表情のない、のっぺらぼうのような蓋がしてあった。 「ああ、いやだ。いやだ」 と、向こうからの薄暗い廊下を渡ってつぶやきながらやってきたまもっちゃんの声が、便所のそこの方からも聞こえてくるようで、なんだか縮こまってしまったかおるは、そのまま蓋を取る事が出来ずに便所からでてきて、外で用を足そうと玄関を飛び出した。 周りは田んぼだらけだから、人はほとんど通らないし、誰も邪魔はしない。 かおるは、まもっちゃんのお見舞いのついでに、まもっちゃんちで生まれたばかりの柴犬をもらいに来たのだが、その母犬が、庭の垣根の隅っこにある犬小屋で、寝ているのを横目で見ながら、立ったまま用を足したのであった。 犬は、ちらりとこちらを見て鼻をひくりとしてみせたが、そのまま、吠えもせず、立ち上がりもせずに、首だけ、小屋から無造作に出して、どことなく狭苦しさを紛らわす為に息継ぎをしている風にも見えた。 子犬の姿は見つからなかった。 これから、かおるたちが連れて帰るというので、おいちゃん、おばちゃんたちが、たぶん、別のところに移動させていたのだろう。 かおるは、子犬を探そうと思って、庭を歩き出したが、砂利が敷き詰められていて、歩くごとにずじゃずじゃと音がした。その音に釣られるように、今度は、母犬が耳をひくひくさせているので、なんだか、申し訳ないような気がして、そのまま、玄関の方に帰っていった。 玄関の曇りが広がるような磨りガラスの引き戸を開くと廊下が続いている。 入って直ぐの左手には便所、右手にはまもっちゃんの部屋があるのを知っていたかおるは、かおるが入って来れるくらい開いていた、まもっちゃんの部屋を覗いてみたのだが、まもっちゃんはいなかった。 いまさっきの声は、まもっちゃんの声ではなかったのだろうか。 と、かおるは思いながら、まもっちゃんの部屋のほとんどを占めている、やたらと大きなベットが気になって気になってしょうがなかったので、じっと見ていた。 かおるの家は、皆、布団で寝ていたので、ベットというものがなかったので、一度、どういうものか、寝転がってみたいと思ったのである。 かおるはベットの方に、そおっと歩いていった。 部屋の中にはやはり誰もいないようだった。 まもっちゃんが、どこかに隠れてはいないか気になったが、隠れるような場所は押し入れくらいしか見当たらず、まもっちゃんは、かおると違って昼間っから押し入れに隠れたりするような年でもないので、それもないだろうとかおるは半ば安心しながら、ベットに向かって飛びこんだ。 勢い余って、ベットの頭の方の、本や雑誌や目覚まし時計や箱が置いてあるところに頭を突っ込んでしまったかおるは、ベットの毛布の上や、ベットの下に、散らばってしまったそれらを、かき集めなければならなかった。 散らばった箱を片付けていると脂臭いような、ワックスの匂いのような、女の人のお化粧の匂い等が入り交じった、何とも言えない匂いが鼻にまとまりついて来た。 「ああ、いやだ。いやだ」 どこかで、やはり、まもっちゃんの声がしたような気がした。 もしかして、押し入れの中なのではと思ったが、それきり声はしないようなので、とりあえず、かおるは片付けを続けることにした。 箱の中身は、ぶよぶよしたごむまりのようなものばかりであった。 どこか無くなった指の代わりのような形をしている。なんだか気持ちが悪い。 「ああ、いやだ。いやだ」 かおるは、口から言葉がこぼれているのにふと気づいて、いままでの声は本当は自分であったような気がしながら、それらを箱に詰め込んで、もとの場所に戻した。 それから、無造作に開かれている雑誌のようなものの中にあった、一つの繪のような合成写真のようなものを見つけた。 其の写真に、目を奪われたのであった。 其の写真には、首を小脇に抱えた人が映っていた。 其の首は、その人自身のものであるように、映り込んでいるのである。 しかも、どことなく微笑んでいる風でもあったのだ。 「ああ、いやだ。いやだ」 直ぐそこで、声がしたのが聞こえた。 やはり、まもっちゃんの声のようなのだった。
by akikonoda
| 2008-11-25 20:41
| 小説
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